人の人生の終わりに行われる葬式はその時代に合わせてその方法や様子が大きく変わってきました。
特に、明治時代から大正時代、昭和時代にかけては葬式の形が時代に合わせて変わったことを読み取りやすい時代です。
では、大正時代に行われていた葬式はそれまでとどのように変わっていったのでしょうか。
また、大正時代の葬式はいったいどんな時代の事情に合わせて変化したのでしょうか。
お別れはにぎやかに?
一般的に葬式、つまり個人との最後の別れとなれば、しめやかに、ひっそりと行われるものだと考える人が多いのではないでしょうか。
しかし、明治時代に行われていた葬式は私たちが思い描いている現在のようなものではないようです。
明治時代は野辺の送り、つまり遺族や近所の人が行列を組んで遺体を火葬場や墓地へと運んで行った葬列を派手に行う葬式が民衆の間では一般的になっていました。
現在とは違い、棺を輿にのせ、人力で運んでいく葬列を中心にした葬式を行っていたのです。
道路の妨げになる葬式?
しかし、明治時代から大正時代に行われていた派手で大掛かりな葬列を中心にした葬式はある問題に突き当たります。
大正時代、路面電車が走るようになったり、自動車が日本に登場したのですが、当時行われていた派手な葬列でたびたび道路が封鎖されてしまう事態が起こっていたのです。
交通道路が封鎖され、通れる道が通れないとなると、通行の邪魔になる葬列に批判が集まっていきます。
それらの苦情、批判のため、明治時代から大正時代にかけて行われていた派手で大掛かりな葬列は都市を中心になくなっていくのです。
こうして大正時代にはそれまで派手で大掛かりな葬列を中心としていた葬式の形自体が変わっていくことになったのです。
霊柩車の誕生
自動車などが道路を走るようになり、交通事情が変わってきたために出来なくなったそれまでのような派手で大掛かりな葬列。
そのため、それまでとは違い、葬列を中心としない新しい葬式の形が出来上がっていきます。
それまで行われていた葬列の代わりに告別式が行われるようになっていったのです。
派手で大掛かりな、輿を使って練り歩く葬列の代わりとして、自宅での告別式を行うことが一般的な葬式の形にと変化していったのです。
しかし、葬列がなくなったといっても、遺体は火葬場などに運ばなければいけません。
そのため、大正時代には葬列で使われていた輿の代わりに遺体を運ぶものとして、霊柩車が誕生します。
明治時代から大正時代まで続いていた派手で大掛かりな葬列は自動車などが増え、交通事情が変わったためになくなっていきました。
しかし、新しい形となった葬式に必要なものとして、当の自動車が霊柩車という役割を果たすようになっていったのです。