大正時代の薬と薬屋

人が生きていくうえで病気とのかかわりを避けることはできません。

風邪を引いたことがないという人はあまり多くはないはず。

もし風邪をひいてしまったら、治すために人は薬に頼ります。

その薬と、薬を売っている薬屋には健康な時はあまり接点はありませんが、健康に生き続けるためには必要なものです。

大正時代を振り返っても、多くの薬屋があり、様々な薬を扱っていました。

では、当時の薬屋とは、そして薬とは?

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薬屋=商会?

大正時代の薬屋といえば、言い換えると薬種商だとも言えます。

薬種商とは、薬を扱っていた商店であり、薬を調合、そして販売することができた商会のこと。

更に大正時代の前、明治時代までさかのぼると、当時の薬局は薬舗ともいわれ、医学科や薬学科を卒業したら無資格で開くことができるものの、それ以外の人が薬舗を経営しようと考えるのならば薬舗開業試験にうかり、薬種舗の資格を取らなければなりませんでした。

そして明治時代から大正時代に移っていくとともに、商会が薬を調合し、販売する薬種商となっていくのです。

そして大正時代には、多くの薬屋がそれぞれ特色ある薬を発売し、様々な宣伝方法でアピールしていきました。

海外出兵に欠かせないものは?

大正時代にはすでにあり、有名だった薬の一つに仁丹があります。

この仁丹は明治時代、1905年に発売された口中清涼剤ですが、当時は腹痛の予防薬として売られていました。

この時、かかってしまった病気を治す、という考え方から病気にかかる前に予防する、というそれまでにない新しい考え方が当時少しづつ出てきていたのです。

この仁丹、海外出兵する兵隊に配られたことがありました。

その理由がコレラにかからないようにするため。

こうして仁丹は海外でも信頼され、愛用されていたのです。

仁丹といえば、現代でも知っている人は知っている有名な薬です。

このコレラの予防にいいとされた仁丹のように、大正時代には現代でも有名な薬が発売されていくようになっていきます。

薬屋と宣伝

大正時代の薬屋は様々な薬を発売したうえ、宣伝も派手に行いました。

丹平商会は薬の一つとして健脳丸という脳の栄養補給に、そして記憶力アップに効くという薬を売り出しました。

更に山田安民薬房という薬屋は胃腸薬やロート目薬を売り出しています。

大正時代の薬屋はただ薬を調合し、販売するだけではありません。

販売に加えて、更に大正時代には薬屋は派手な宣伝方法を行ったのです。

例えば通天閣に宣伝を出したり、ビラを飛行機から配ったりなど。

大正時代の薬屋は現代まで長く使われている薬を生み出したり、宣伝によってその名を広めたりしていたのです。

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