現代では、弁護士という職業につくためにたくさんの勉強をし、多くの難しい試験を突破しなければならない、弁護士はエリートの中のエリート、という印象を持っている方が多いはず。
しかし、実は弁護士という名前の職業は日本では比較的最近呼ばれ始めた職業であり、少し前まではそれほど偉い人がなる職業でもなかったようです。
では、大正時代に的を絞ってみるならば、弁護士とは一体どんな職業だったのでしょうか。
それまでの弁護士は軽蔑対象?
現在、弁護士と呼ばれる職業ですが、その制度が整ったのは明治時代でした。
更に、当時は弁護士という呼び方さえありません。
今で言う弁護士はその頃代言人と呼ばれていました。
しかし、この代言人、後に弁護士という名前になっていくとはいえ、現在の弁護士とはだいぶ違います。
実はこの代言人というのは、現在の弁護士ほど尊敬される職業ではなかったのです。
はっきり言ってしまうのならば、逆に軽蔑対象ともなっていました。
それほど地位が高い人がつく職業でもなく、軽蔑の対象となっていた代言人。
しかし、そんな代言人について、大正時代に変化が起こります。
みんなの声を受けて変化する
明治時代に地位が低く、軽蔑対象ともなっていたのちに弁護士とよばれる代言人。
更に元をたどれば、江戸時代に誕生していた、報酬により何かの便宜を測り、債権を取り立てていた公事師と明治時代に活躍していた代言人は似ています。
そして、大正時代に入ると、更に変化していくのです。
大正時代で起こった大きな出来事は、それまでの法律が新しく変わり、改めて弁護士という職業の名前が使われるようになっていくこと、そしてその弁護士に関する法律が新しく変わったことです。
というのも、古くからあった旧弁護士法は内部からの反響が良いとは言えなかったため。改正の要求が多くあがったためです。
その旧弁護士法は明治26年、つまり1803年に制定されていました。
それが大正12年、つまり1923年には口頭試験などによって高等試験などによる司法科試験が行われ、判検事、弁護士の試験が同一になるところまで変わっていったのです。
また、新しい法律が作られ、弁護士という名称が根付いたことで、現代の弁護士の姿に近づいてきたのです。
数が増えて起こったこととは?
大正時代の弁護士の特徴として、急激に数が増えたことが挙げられます。
しかし、弁護士の数が増えたことにより、それまでとは違う問題も起こるようになっていきました。
その問題とは、弁護士によってどんな立場の人の見方につくか分かれる姿が見られるようになったことです。
例えば民事事件では、労働者、小作農民と資本家、地主などの人たちが登場しますが、労働者、小作農民の側に付く弁護士と、資本家、地主の側につく弁護士に分かれるなど、弁護士ごとにそんな傾向が見られるようになっていったのです。
現代ではエリートとされる弁護士ですが、大正時代の姿を見てみると、それほど尊敬されていなかったり、様々な問題を抱えていたりなど、意外な問題点を多く見つけることができます。
現在の姿からは全く想像もできない弁護士の姿。
しかし、歴史が変わっていくにつれ、さまざまな問題を克服し、エリートと言われるほど地位が高くなった現代の弁護士の姿へと近づいていくのです。