大正時代の見世物について 庶民の娯楽だった

最近すっかり見かけなくなってしまった見世物。

見世物、といってすぐ、何のことかわかる人も少なくなってきています。

日本で江戸時代より前から庶民の間で親しまれていた娯楽である見世物は、江戸時代から明治時代のころ大流行し、大正時代から昭和時代にかけて徐々にその数を減らしていきます。

現代ではほとんど見かけなくなった見世物とは一体どんなものであり、時代によってどんな変化をしていたのでしょうか。

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見世物はいつ見れる?

江戸時代より前から庶民の間で親しまれていた娯楽である見世物。

珍品、珍獣、そして曲芸などの出し物を行う小屋を出し、それを見て楽しむものですが、現代では見たことのないという人のほうが多くなっています。

しかし、見世物が大流行した江戸時代から明治時代、そして大正時代には様々な地域で見ることができました。

見世物小屋が建つ定番の場所としては、寺社のお祭りや縁日という場所があり、ほかに出されている露店とともに見世物小屋が建つことが多かったものの、他にも都市であれば盛り場などでも見かけることができました。

見世物が建つ期間は、農村であれば村祭りの間の一週間ほどだったことも。

ただ、現在のように廃れてしまった原因としてはテレビや映画の影響で人が遠のいたことが原因だとされています。

なんでもありの見世物

大正時代でも楽しまれていた見世物ですが、出し物としては海外からやってきた珍しい生き物、何か芸のできる人間など、様々な種類の出し物がありました。

当時珍しかったインコなどの鳥も珍獣として展示されたり、へび女などが出し物の一つだったのです。

さらに、見世物は時代によっても出し物を変えていきます。

江戸時代では海外からやってきた珍しい動物を見せることが多かったのですが、明治時代、大正時代になってくるとその様子も少し変わってきます。

明治時代からは西洋から入ってきたサーカスなどを出し物の一つとする見世物が増えたのです。

更に見世物で行われた曲芸や軽業は全国の民俗芸能にも影響を与えるなど、見世物が日本に与えた影響は決して少なくはなかったのです。

安田興行社の存在感

江戸時代から明治時代にかけて大流行し、大正時代から昭和時代にかけて活気がなくなっていった見世物。

しかし、大正時代には新しく安田興行社が旗揚げされるなど、すぐになくなっていったわけではありませんでした。

安田興行社は見世物小屋の中でもよく知られている存在でしたが、それまでの見世物だけではなく、お化け屋敷をしたりと様々なことに挑戦していったのです。

明治時代まで大流行を起こし、大正時代から徐々にその数を減らしていった見世物。

しかし、その見世物が日本で果たしてきた歴史と役割を振り返ると、全国の民俗芸能に大きな影響を与えたりなど、極めて重要な役割を果たしています。

庶民に親しまれてきた見世物は、日本に大きな影響を与え、それ自身も変化しながら続いていった存在だったのです。

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