現代では、結婚式と一言で言っても、様々なタイプの結婚式の挙げ方があります。
一方大正時代を見てみると、ちょうど現代のような宗教色の入った式はモダンな式として都市に住む人々の中で人気が出てきた時代でした。
しかし、それは都市でのこと。
大正時代の農村で行われる結婚式は昔ながらのやり方で行われていました。
では、大正時代の農村と都市での結婚式の違いとはどんなものだったのでしょうか。
見合いもしない農村の結婚?
大正時代の農村では、男性は20~25歳、女性は16~22歳くらいまでに一度は結婚する人がほとんどでした。
しかし、今でいう恋愛結婚は少なく、そのほとんどはお見合い結婚だといわれます。
ですが、実際はお見合いすることもなく結婚することがすくなくなかったのです。
それはどういうことだったのでしょうか。
大正9年のころの統計を見てみると、98%の男女は49歳までに結婚しています。
そして、そのころの結婚とは近所の世話好きな人が親に縁談を持ち掛け、当人たちはその話に身を任せることがしきたりでした。
大正時代では、当人同士の意思ではなく、親の意向によって結婚が決まることが多かったため、お見合いをすることはそれほど多くはなかったのです。
夫の家へ向かう花嫁
大正時代の結婚式は夫方の家でのつつましい結婚式を挙げることが一般的でした。
新婚旅行もなく、隣近所へのあいさつ回りをするくらいだったのです。
これは農村だけではなく、山村や漁村でも同じでした。
一例として、花嫁となる女性は髪を島田に結って黒い留袖を着て、畳付きの下駄をはいたうえで人力車で嫁に行ったという記録が残っています。
また、料理は仕出し屋に頼むことも。
夫の家に向かう途中で仲人に手を引かれ、近所の神社に参拝することもありました。
そして夫の家に到着し、家に入るときには婚家に焼き付くようにと火をまたいで相手の家に入るなど、言い伝えを重視していたこともうかがうことができます。
その際、家では羽織姿の新郎が待っていました。
都市の結婚式は派手に?
一方、大正時代後半になると、都市の人々、特に中間階層の人々の結婚式は農村の結婚式とは様子が違ってきます。
夫方の家で結婚式を挙げるのではなく、専門の会場で宗教色を入れた式を挙げ、別の料理屋で披露宴を開き、さらに新婚旅行にも出かけるスタイルがモダンだとして人気が出てくるのです。
しかし、結婚式が豪華になっていく、そんな流れを世間ではとどめようとしたようで、大正7~8年には『主婦之友』で簡素で厳粛な式を進める嫁入り準備号を特集しています。
ただ、大正時代の後半に裕福だったサラリーマンはやはり派手な結婚式を挙げる傾向がありました。
そうしてみると、同じ大正時代であっても、農村や漁村、そして都市では結婚式の挙げ方も傾向もだいぶ違うことがわかります。
一方、都市の結婚式の傾向を見ると、現代行われている結婚式に似通ったところを見て取ることができるのです。