男性と女性では、その地位や仕事に対してなど、様々な面で違いがあります。
現代でも女性の地位が低いとされ、問題になっているケースも見ることがありますが、明治時代までさかのぼると、男性に比べて今よりももっと女性の地位は低く、社会に出て仕事をしている女性も多くはありませんでした。
しかし、それまでのそんな女性像が大正時代になって変わってきます。
では、大正時代になると、女性の地位と仕事はそれまでに比べてどんな変化をしていったのでしょうか。
明治時代の女性像
明治時代までは女性といえば結婚し、子供を産んだうえ、家の中の家事などをするものだ、と世間一般では考えられていました。
実際、特に良家の女性は結婚をすることが普通の生き方であり、結婚をしない女性は多くありませんでした。
仕事を手にし、社会の中で働く女性も少なかったので、社会の中での女性の地位は現代よりもずっと低かったのです。
しかし、明治時代までの、結婚して家の中の家事をする存在という女性像は大正時代になると徐々に崩れていくことになります。
それまでの女性像を否定したらいてう
大正時代になると、一人の女性が登場します。
それがそれまでの家の中にいて従順な女性ではなく、自分の意見を持ち、主張した大正時代の女性を代表する平塚らいてうです。
女性文学者の団体である青鞜社を大正時代に作り上げた平塚らいてうはそれまでの、結婚し、子供を産んで家の中の家事をする女性像に対して、子供を産むかどうか、女性の意思も尊重されると主張したのです。
それまで常識とされていた世の中の女性像に対し、全く違う女性像を真っ向から主張した平塚らいてうをはじめとして、大正時代は自分の意思を持ち、ただ結婚し、家の中のことをするだけではない女性たちが増えていきます。
それが職業婦人と言って、社会の中に出て仕事をすることを選んだ女性たちです。
3つの代表的な女性の仕事とは
大正時代、社会に出て仕事をする職業婦人の数が急速に増えていきました。
しかし、女性の地位は低く、つくことのできる職業はある程度限られていました。
その中でも女性に人気だった3つの仕事があります。
それがバスガール、タイピスト、電話交換手の仕事です。
また、路面電車が主な交通手段だった関東大震災前に比べて、関東大震災の後はバスが交通手段として重視されるようになっていきます。
そして、定期観光バスの運行も始まりますが、そこに必要とされたのがバスガイド。
当初は大学を出た男性のみがバスガイドとして採用されていましたが、徐々に女性にもその門戸を開いていくのです。
また、大正時代では青鞜社に続いて新婦人協会が登場し、参政権の要求など、女性の地位を高める運動を行っていました。
大正時代の女性解放運動、そして自分の意思を持ち、社会に出て主張し始めた女性たち。
大正時代に行動を起こしたそれらの女性たちによって、女性の地位は上がっていき、今に至るのです。