大正時代の子供の遊びで変わったことと

子供は遊ぶことが仕事だといわれます。

その言葉の通り、子供は様々な遊びを経験することで、成長していきます。

では、子供にとって欠かせないそんな遊びは時代によってどう変わっていったのでしょうか。

大正デモクラシーなどが起こった大正時代の子供の遊びを見てみましょう。

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家族の楽しみその3つ

芝居見学、そして今でいう映画のことを指す活動写真。

どちらも大正時代に親しまれ、楽しまれていた娯楽です。

大正時代には、個人だけではなく、芝居見学など、家族全員で楽しめる娯楽がいくつもありました。

そんな娯楽の一つで大正時代に誕生したものが、雑誌『キング』です。

『キング』は労働者階層や貧民など、幅広い階層の人々に家族で楽しめる楽しみをもたらしました。

大人だけでもなく、子供だけでもない万人向けの雑誌であり、イラストや漫画、ニュースなど、家族全員が楽しめるように工夫が凝らされた雑誌だったのです。

『キング』は1925年に月間娯楽雑誌として創刊され、100万部を突破するなど、高い人気を作った雑誌として名を残しています。

遊びを作り出す子供たち

家族で楽しめる娯楽が多く出てきた大正時代。

それでも、子供たちが自分たちで楽しむ遊びはまた別ものでした。

大正時代は児童の世紀ともいわれる時代。

子供たちは鬼ごっこやかくれんぼ、かげふみなど、道具のいらない遊びを楽しむ一方で、紙鉄砲や縄跳び、べんざらかくしなど、道具を使って楽しむ遊びも楽しみました。

その際、子供たちが自分で作る遊びの道具は土や石、竹など、多くがすぐ手に入るもので作られていたのです。

子供の遊びにも異文化の風?

多くの遊びがあり、道具を使って、または道具もない中で遊びを作り出し、遊んでいた大正時代の子供。

しかし、大正時代の子供の遊びには大きな変化が起きます。

大正時代はそれまで、つまり明治時代からの子供の伝統を引き継ぐとともに、海外から入ってきた子供の文化がまじりあうことになります。

その影響は子供の使う遊びにも出てきます。

木で作られた大正時代の人形が青い目のセルロイドの人形へ、土や貝で作ったメンカイがガラスで作られたおはじきになったのもその影響の一例です。

ガラス、セルロイド、ゴムなどで作られたおもちゃが大正時代の日本の子供たちにもたらされたのです。

ただ、そんなおもちゃを手に入れられるのは上流階級の一部の家庭にいる子供だけでした。

実際には家の手伝いなどで満足するまで遊ぶことができる子供は少なくなかったのです。

大正時代の子供の遊びはそれまでの明治時代の子供の伝統だけではなく、海外からの子供の遊びなどの文化が入り、西洋の文化が子供の遊びに大きな影響を与えていることがよくわかる時代だったのです。

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