人の生活に欠かせないトイレ。
時代に合わせてその姿や機能を進化させ、自動で蓋が開いたりなど、今でもその変化はとまりません。
では、そんなトイレの歴史の中で、大正時代は一体どんな変化をもたらした時代だったのでしょうか。
大正時代のトイレの歴史を少し覗いてみましょう。
日本のトイレは欧米だより?
陶磁器製の便器が日本でのトイレの歴史に登場したのは明治時代のことでした。
そこから、腰掛けて用を足す腰掛け式の水洗便器が日本で作られ、登場したのは1914年のこと。
しかし、明治時代では、洋式の水洗便器はほぼ全て欧米のメーカーから輸入し、設置されていました。
明治時代から大正時代にかけて、日本の水洗便器は欧米頼みだったのです。
しかし大正時代になり、陶磁器製の水洗便器が国産化されていくという変化がおこりました。
なぜまだ汲み取り式?
明治時代には欧米のメーカーから水洗便器を輸入し、設置していた日本のトイレですが、実はまだ水洗トイレは一般的ではありませんでした。
明治時代、そして大正時代の頃はまだ水洗トイレよりも汲み取り式のトイレの方が一般的だったのです。
それもそのはず。
水洗トイレは下水道が整備されていないと使えません。
しかし、明治時代から大正時代の日本では、まだ浄化槽、そして下水道の整備は進んではいなかったのです。
そのため、水洗トイレではなく、昔ながらの汲み取り式のトイレが主流でした。
しかし、そんな状況が一変する出来事が大正時代には起こります。
その出来事がきっかけとなり、下水道の整備、そして水洗トイレの設置が進んでいくのです。
すべてを変えた関東大震災
汲み取り式がまだまだ現役だった大正時代。
しかし、それを一変させる出来事が起こります。
それが、関東大震災です。
関東大震災で都市は大きなダメージを受けました。
建物は壊れ、一から街を作り直さなければならない状況。
そんな状況の中、大震災からの復興が始まります。
そして、その復興のなかで、手洗器などの衛生陶器も必要とされました。
そして、それまで整備が進んでいなかった浄化槽や下水道も問題視されます。
街を作り直さなれけばならないということは、トイレも新しくしなければなりません。
関東大震災という大きな出来事をきっかけとして、浄化槽や下水道の整備が進行することになったのです。
そして、その流れで関東大震災のあとから徐々に水洗トイレが設置される場所が増えていったのです。
それまで主流だった汲み取り式のトイレから、徐々に水洗トイレの数が増えていった大正時代。
水洗便器を作る技術と環境、そして浄化槽や下水道の整備が進んだことがその背景にあります。
大正時代とは、日本のトイレの歴史の中でも大きな変化が起きていた時代だったのです。