昔から食べられていた日本食。
しかし、大正時代には現代でもお馴染みの洋食が日々の食事に加わります。
それまで食べられていた日本の食事とは全く違うため、日本人に馴染みがなく、なかなか受け入れられなかった洋食。
しかし、現代では洋食が日本人の生活にしっかり根付いているように、日本の食事の一つとして洋食は徐々に受け入れられていきます。
ちょうど洋食が庶民の食事の一つとして登場し、受け入れられ始めた大正時代には一体どのようにして受け入れられていったのでしょうか。
ぐんぐん増える飲食店
大正時代に食事の一つの種類として登場し、庶民にも食べられるようになってきた洋食。
まず、初めに洋食が広がっていったのは都市部、そしてサラリーマン家庭などの中流階層の人々でした。
そのころの洋食はカレー、コロッケ、トンカツやオムライスなど、現代でも人気の洋食の顔ぶれがすでに揃っていたのです。
1918年、簡易食堂という公設の食堂が東京都内の数か所に作られていましたが、そのような外出先でも洋食が食べられるようになりました。
更に、東京都内の数か所だけだった簡易食堂のほかにも、1923年には3万近くの飲食店があり、日々の食事の一つとして洋食はどんどん身近になっていたのです。
店の形を変えてまで洋食提供?
大正時代には、新しくできた飲食店だけが洋食を出していただけではありません。
それまでは洋食を出していなかったところでも洋食を食べられるようになっていきました。
明治、大正時代には和洋の料理店が繁栄しました。
そして、関東大震災後には蕎麦屋がかつ丼を始めとして蕎麦だけではなく、洋食も出し始めた記録が残っています。
関東大震災で壊れた店を新しく建て直した際、新しい店舗ではテーブルと椅子を揃え、ライスカレーなどの洋食を食べやすい環境に整えるなど、洋食によって店の形自体も変えたところもあったのです。
家でだって作ります!
大正時代、外食先で食べる印象が強い洋食ですが、家での食事ででも洋食は作られていました。
例えば大正3年、東京日本橋岡本商店から「ロンドン土産即席カレー」として缶入りのライスカレーが発売され始めていたのです。
徐々に洋食が外食先で食べるだけではなく、家ででも作られ、食べられ始めていたのです。
日本橋の商家では、洋食屋で食べた料理を主婦がまねて作ったりもするようになっていました。
洋食が日本人に受け入れられ始めた大正時代には、家庭で作れるように考え作られた料理書が出版されるようにもなっていったのです。
最初は日本人に馴染みのないバターなどが使われていたため、敬遠されていた洋食ですが、大正時代に洋食店をはじめとする飲食店が増えるにつれ、徐々に受け入れられ始め、家庭でも作られるようになっていったのです。