大正時代の日本とチョコレート

お菓子の中でも人気の高いチョコレート。

チョコレートを利用したバレンタインなどのイベントもあり、その人気は年々高まるばかり。

では、日本とチョコレートの関係はいつ始まったのでしょうか。

そして、チョコレートが高価だった大正時代には、どんなチョコレートがあったのでしょうか。

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使節団とチョコレート

甘くておいしいチョコレート。

そんなチョコレートを初めて食べた日本人は17世紀にヨーロッパに渡った支倉常長を代表とする遣欧使節団だといわれています。

また、日本人の女性で初めてチョコレートを口にしたといわれているのは日本の女子教育の先駆者であり津田塾大学の設立者である津田梅子という人物。

津田梅子はわずか6歳の時に岩倉使節団に同行し、フランスのリヨンでチョコレート工場を見学していたのです。

日本での発売開始!

最初、日本で発売されていたのは輸入された外国産のチョコレートでした。

米津風月堂が1878年に日本で初めて販売を始めたのです。

しかし、大正時代にはまだチョコレートは市民にとっては手の届かない高級品であり、気軽に食べられるものではありませんでした。

そして1918年に森永製菓が日本で初めてカカオ豆からチョコレートを作る一貫製造を開始します。

外国人技師を招いて日本初の国産ミルクチョコレートを発売したのです。

大正時代の高価な輸入品のチョコレートしか出回っていないなか、国産チョコレートの発売を開始したことで、チョコレートの歴史は大きく変わっていくのです。

更に1923年になると、ゴンチャロフがチョコレート工房を開業し、チョコレート菓子を売り出しました。

そこで売りに出されたチョコレート菓子のうち、現在でも有名なあのチョコレート菓子が日本で初めて作られました。

チョコレートボンボンはお金持ち向け?

大正時代に初めて日本で作られ、ゴンチャロフが売り出した有名なチョコレート菓子、それはチョコレートボンボンです。

チョコレートボンボンとは、洋酒入りのチョコレート菓子の一つ。

そのウイスキーボンボンが大正時代の日本で初めて売り出されたのですが、ターゲットとなったそのチョコレートの買い手は、お金持ちの人々でした。

1923年、旧居留地でゴンチャロフによって売り出されたチョコレートボンボンなどのチョコレートのお菓子は、一部の外国人や上流階級の人物を相手に売り出されたのです。

現在では一般の人々、それこそ子供にも人気で気軽に食べられているチョコレート。

しかし、大正時代では今ほど気軽に口にできるものではなく、一部の人しか口にできない贅沢品でした。

けれど大正時代を経て国産のチョコレートを発売するまでにこぎつけるなど、努力の結果、現在のように身近なお菓子の一つになったのです。

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