大正時代の化粧品について

化粧をしないと家の外に出られない、という女性もいる現代。

それほど女性にとって化粧とは大事なものなのです。

よりきれいに見せるための化粧、そしてその化粧に欠かせない化粧品は、季節によって、そして時代によって次々に新しいものが発売されてきました。

では、大正時代の女性に使われた化粧品の中で、外すことのできない定番の化粧品は一体何だったのでしょうか。

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メイクポイントは3点?

時代は違えど女性はいつの時代であってもよりきれいになりたいもの。

大正時代も同じように、女性たちは様々な化粧を試し、流行を生み出していきました。

美顔水やヘチマコロンなどの化粧水を使って自分の肌自体を美しくするケアも大正時代のころには行われていました。

また、当時はさっぱりした薄化粧に仕上がる無脂肪性のクリームを使った化粧が女性たちの定番。

大正時代には、そうしたベースメークにあと二つのメイクポイントがあります。

当時、よりきれいに見せるために女性たちが力を入れて化粧をしていた部分が、眉と口でした。

化粧品を使って眉を描き、口紅をするという、この2つの化粧が大正時代の女性たちにより重要視されていたものだったのです。

また、頬紅をし始めたのも大正時代のころ。

そのためのコンパクトも登場していました。

しかし、大正時代の化粧は基本的にはベースメイク、そして眉を描き、口紅をすることでした。

口紅あれこれ

大正時代に重要視されていた口紅。

化粧品の一つである口紅は当時大きな変化を迎えていました。

欧米からスティック状の口紅が登場する前、日本で使われていた化粧品、それは紅猪口でした。

これは盃に紅を塗り付け、筆や指でとって使う化粧品でした。

なかには盃ではなく、板に紅を塗り付けているものも。

盃の場合、そのままでは乾いてしまうので、普段紅猪口を使わないときは伏せておきました。

また、紅猪口の代わりに欧米から入ってきたスティック状の口紅ですが、当時のスティック状の口紅は高価だったため、使えたのは上流階級の女性だけでした。

その後、大正7年にオペラ口紅という国産初の口紅が発売されて広まるまで、スティック状の口紅はなかなか世の中に広まらなかったのです。

アイメイクはまだしない?

現代の女性たちがしている中で、大正時代の女性たちがしていないものの化粧の一つは、アイメイクでした。

アイシャドウ、マスカラなどの化粧品を使うアイメイクは当時舞台化粧であったり、夜の商売をする女性たちがするものということで、夜の化粧だとされ、なかなか広がりを見せなかったのです。

いつの時代も美しさをもとめ、様々な化粧品を使いこなす女性たち。

現代では欠かせないメイクも大正時代にはされていなかったりと、時代によって必要とされる化粧品も違ってくるのです。

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