国は国民が納めた税金を使って様々なことをしています。
そんな税金の中でも、消費税などが一番身近にあり、わかりやすい税金の一つだと思いますが、これは比較的新しくできた税金です。
では、少しさかのぼって大正時代にはどんな税金があり、どんな風に納めていたのでしょうか。
税金を納めるまで
大正時代、消費税はまだなかったため、税金の中では営業税などが大きな割合を占めていました。
営業税とは、1896年から1947年まであった国税であり、商工業者の事業を課税対象としていたものです。
しかし、1926年にはそれまでの営業税は廃止され、新しく営業収益税として取り立てられるようになります。
これは所得税を補う役割を持つ税でした。
また、同じ年に税制改正があり、国税の中心が地租から所得税に移ったことも税金の流れをおさえるためのポイントです。
また、大正時代の国税は地方税と別々に納税するのではなく、地方税とともに市町村に一度納め、国税の部分を市町村から国庫に納入する方式となっていました。
そのころは現金を直接役場に持っていく方法が一般的だったのです。
納税の催促は納税者側に立って?
大正時代に人々から税金を集め、それを国庫に納入する役目を持った市町村ですが、役場に直接現金を持参しなくてもいいように、銀行で納税ができるようにする市町村もありました。
更に、「税務の民衆化」をスローガンとしており、人々に対して申告方法やわからないことを質問された時には親身になって対応するなど、人々のサポートも怠ってはいませんでした。
わかりやすいよう納税袋をつくるなど、大正時代では納税者である人々の立場に立って納税するように促していたのです。
変わった税金と納税のためのお話
更に大正時代には、納税に関してのお話を全国に広め、人々が納税に関心を持つようにしていました。
それが1923年の「孝子芳松」というお話です。
これは苦しい家計をドジョウ捕りで助け、税金をすべて納めた10歳の少年の実話で、納税美談として冊子が作られ、それを全国に配ることで反響を呼びました。
大正時代にはこのような納税美談がいくつも知られるようになったのです。
また、大正時代には変わった税金もありました。
例えば、個人宅で造られた醤油に対してかけられる自家製醤油税。
そして、名誉税。
実はこの名誉税とは所得税のこと。
1887年という明治時代に創設された当時の所得税は高所得者が対象だったため、このように呼ばれたのです。
この所得税は大正時代には税収第一位ともなりました。
現在とは違う大正時代の税金。
仕組みも違う、税金自体も現在とは違います。
そして大正時代、人々に税金を納めてもらうために、美談を冊子にして配り、納税袋を作るなど、様々な工夫をしていたのです。