大正時代は女性による女性運動が活発になっていった時代でした。
そんな時代背景の中、行われていた女性運動を大きく先に進めた3つの有名な団体があります。
では、その3つの有名な団体はいったいどんな団体であり、どう活動したのでしょうか。
始まりの青鞜社
大正時代を通して行われた女性運動を始めたのは青鞜社でした。
青鞜社とは1911年に平塚らいてう達によって結成された女流文学団体のことです。
その青鞜社が出した雑誌『青鞜』は女流文学誌でした。
その創刊号に書かれていた平塚らいてうの「元始、女性は太陽であった」という言葉を知っている人は多いかもしれません。
しかし、大正時代に女性運動の先頭に立った青鞜社、そして雑誌『青鞜』でしたが、意外にも最初は女性運動とは関わりのない女流文学誌としてのみ活動していました。
しかし、次第に女性問題を中心に取り上げる女性専門誌になり、女性解放運動の中心となっていったのです。
新婦人協会が勝ち取ったものとは?
大正時代に女性運動の先頭に立った青鞜社ですが、その次に現れた団体が新婦人協会でした。
1920年に平塚らいてうと市川房江らが設立した新婦人協会は、女性の参政権を要求するなど、女性の地位を高める運動を進めていました。
その結果、大正時代に新婦人協会が勝ち取ったものがあります。
それが、1922年に婦人の政治運動参加を禁じた治安警察法第五条が改正されるという結果でした。
これにより、女性も政治演説会に参加できるようになりました。
そして、同じ年に新婦人協会は解散するのです。
新婦人協会と並び立つ赤瀾会
青鞜社を追うように現れ、女性運動を繰り広げた新婦人協会ですが、その新婦人協会と同じ時期に女性運動を行っていたもう一つの団体があります。
それが、赤瀾会です。
名前についている「赤瀾」とは赤いさざ波という意味を持つ言葉。
1921年に結成された赤瀾会は40人ほどの女性によって結成された団体でした。
この赤瀾会の特徴は、社会主義者の団体だということ。
それも、日本で最初の女性社会主義団体だったのです。
中心人物は山川菊枝、伊藤野枝であり、社会主義の立場から大正時代に女性運動を展開していったのです。
しかし、激しい弾圧を受けたため、わずか一年足らずでこの赤瀾会は消滅してしまいました。
こうやって見ていくとわかるように、大正時代は女性運動が活発に行われた時代でした。
その大正時代に活躍していた女性の団体を調べると、青鞜社、新婦人協会、そして赤瀾会という3つの大きな団体が浮かんできます。
大正時代の女性運動はこの3つの団体のことを押さえておくだけで理解できるのです。