明治時代に続いてやってきた大正時代。
ラジオ放送が開始されたり、何かの商品を売り込む広告が沢山作られるなど、それまでより多くの情報を得ることが出来るようになりました。
そうやって情報を手に入れることがより簡単になった大正時代では、新しい洋菓子が誕生したり、より多くの人たちに手に取ってもらえる洋菓子が増えたりした時代でもありました。
そのように大正時代から徐々に有名になっていった洋菓子には、どんなものがあるのでしょうか。
コーヒーには洋菓子が鉄板?
大正時代になって、洋菓子や洋食などが新しく登場してきました。
しかし、日本料理にはあまり使わないバターなど、濃い味のものは当時の日本人には受け入れにくいものであり、それらが広まるにはなかなか苦労があったようです。
洋食だけではなく、洋菓子であっても同じこと。
しかし、あることがきっかけで洋菓子は一気に大正時代の民衆に受け入れられることになりました。
そのきっかけとなったのが、明治時代から起こったカフェー文化。
大正時代の世の中で流行したカフェーでは、コーヒーは欠かせないものでした。
そして、苦いコーヒーを飲みながら楽しむものとして、洋菓子も大正時代の民衆に受け入れられるようになっていきます。
最初日本人の口には合わず、いまいち人気のなかった洋菓子は、カフェー文化の波によってコーヒーのお供としての地位を築き上げたのです。
昔も今も変わらず人気!
現代、ドイツのお菓子として日本で知られているバウムクーヘン。
すっかり日本に根付いた洋菓子の一つですが、売られ始めたのは大正時代からでした。
1919年、広島物産陳列館で開かれたドイツ人捕虜の作品展示即売会で売られたのがその第一歩。
当初は現代でも馴染みのあるバウムクーヘンという名前ではなく、ピラミッドケーキとして知られていました。
そして名前を変え、日本人の口に合うように味を変えながら現代のように名の知られるお菓子となったのです。
また、現代でも名の知られるお菓子の業界がもう一つ、大正時代に成長を始めます。
それが、チョコレート。
1918年、チョコレートは初めて国内で製造がスタートしました。
それは外国人技師から教わりながらのカカオ豆からの一貫した製造。
それを皮切りにして、日本のチョコレート産業は大きく成長を遂げていくのです。
たばこの代用?大人のお菓子
大正時代、洋菓子の販売促進のためポスターも沢山作られました。
そんなポスターの一つに、タバコ代用というキャッチコピーを使っていた洋菓子があります。
大人をターゲットとして売られていたその洋菓子こそ、現代でもおなじみのキャラメルでした。
キャラメルも他の洋菓子や洋食と同じように、味が濃厚すぎるため日本人にはあまり好まれず、販売したばかりの頃は苦戦していました。
しかし、試行錯誤の末、大正時代を代表する洋菓子の一つとなったのです。
その人気の一つとなったのが、1914年の上野公園で行われた東京大正博覧会でした。
ここでキャラメルを販売する際、手軽な携帯容器に入ったものがよく売れたと記録に残っています。
現代まで続くキャラメル人気はこの大正時代から始まったのです。
バウムクーヘンにチョコレート、そしてキャラメル。
どれも現代でも名の知れた有名なお菓子ですが、それらが人気になるきっかけは大正時代にあったのです。