現在では、贅沢といえば何を思い浮かべるでしょうか。
少し高めの外食、高価な時計、少し背伸びをして買うバッグ。
少し考えるだけでも、人の数だけ思いつく贅沢があると思います。
そんななかで旅行が贅沢なものだと答えた方は多いはず。
観光など、目的は様々ですが、旅をすることは昔から贅沢なものの一つでした。
特に大正時代では旅は余暇を楽しむ贅沢なものとして民衆の間に広まっていったのです。
旅が大正時代に余暇を楽しむ贅沢なものとして定着したとは、いったいどういうことなのでしょうか。
目次
増える「贅沢」
大正時代になると、「贅沢」なものが身の回りにあふれるようになっていました。
主婦の生活を便利にするために家事を助ける道具が数多く開発、販売されるようになりましたが、なかにはかなり高く、なかなか手が出せない道具があったり、大正後期になれば国産の腕時計が発売されるようになったりと、民衆にとって「贅沢」または「贅沢品」がどんどん増えていたのです。
ちょうど発売され始めた自動車なども高価で贅沢なものとしてとらえることができました。
「余暇を楽しむ」という考え方
そんな大正時代に行われていた贅沢なものの一つに旅があります。
大正時代は各地に旅行が好きな人の集まりができるなど、旅は贅沢な楽しみの一つとされていました。
しかし、明治時代と大正時代の旅では、大きな違いがあります。
大正時代の旅はそれまでとは違って余暇を楽しむもの、家族で楽しむものというとらえ方をされるようになっていったのです。
つまり、大正時代には旅は家族ぐるみで楽しめる贅沢なものと変化したのです。
実は大正時代に入るまで、余暇を楽しむ、という考え方はあまりありませんでした。
しかし、時代を経るに従い、上流階級のなかでは余暇を楽しむもの、そして家族のだんらんとして、または娯楽として旅を楽しむ方が増えていったのです。
しかし海水浴や温泉旅行などのレジャーや旅行はまだ一般の方が行うものではなく、あくまで都市部の裕福な上流階級の人が行うものでした。
余暇を楽しむものといっても、旅行はまだまだ一般の方にとっては贅沢なものであり、めったに行けるものではなかったのです。
旅をすることが増えた2つの理由
大正時代には旅は贅沢なものとされつつも行う人が増えていきました。
しかし、それには2つの理由があったのです。
一つは、大正時代になって交通事情がよくなったこと。
それまで馬車や人力車が多くみられた街中でも路面電車や自動車の姿が増えていくとともに、それに合わせて道路はより快適なものにと整備されていったため、より早く、安く旅ができるようになっていったのです。
そして旅をする人が増えたもう一つの理由は、サラリーマンが増えたこと。
教育を受け、高学歴のサラリーマンが増えたことで高い収入を得ることができる人が増え、それらの人々が家族で旅に出るようになったのです。
それまでよりも安く、早く旅ができるようになった大正時代。
旅はまだまだ贅沢なものの一つだったものの、それまでよりもより身近なものとなっていくのです。