大正時代のレストランでの食事といえばこの洋食

大正時代は、海を越えてやってきた文化や商品が庶民の生活に大きな影響を与えた時代です。

大正モダンなど言葉が生まれて人々が活気づいていた大正時代、人々が食事をしに出かけるレストランでは、洋食の人気が高まるなどの変化を見ることができました。

では、大正時代のレストランで実際に人々が食べた食事といえば、どんなものだったのでしょうか。

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来るべくしてきた洋食ブーム

それまでの日本食ではなく、洋食が広まったのは明治時代、しかも中級階級を中心とした人々の間だけでした。

しかし、時は流れ大正時代、洋食は中級階級だけにとどまらず、より多くの人々が楽しむものになっていったのです。

そこからが洋食ブームの到来です。

しかし、それまで親しまれてきた日本食と大きな違いのある洋食が広まったのには、理由がありました。

それが、洋食ブームの到来の前にあったカフェーブームです。

その下地があったため、短い大正時代の間に洋食ブームが起こったのです。

そしてその勢いにのり、1918年、簡易食堂といわれる公設の食堂が東京都内の数か所にオープンしました。

こうして庶民がレストランや食堂で洋食を食べる光景が当たり前のものになっていったのです。

看板メニューとなった洋食

洋食のブームが起こり、庶民が食事をしに入った食堂やレストランで洋食を注文する姿が見られるようになった大正時代。

では、その食堂やレストランで出されていた洋食の食事とは、いったいどんなメニューだったのでしょうか。

その時代、食堂やレストランでは、洋食が看板メニューとして登場するようになりました。

その人気ある洋食のメニューには、カレーにとんかつ、オムレツにビーフステーキなど、今でも親しまれている料理が挙げられています。

大正時代では呼び方が違い、それぞれライスカレー、ポークカツレツ、オムレツライス、ビフテキとよばれ、レストランなどで看板メニューとして大活躍した洋食です。

そしてそれらの料理のように、日本人の好みに合わせて変化していった日本的洋食を中心として、多くのレストランがオープンしていったのです。

また、洋食を出すのはレストランだけにとどまりませんでした。

ポークカツレツを出す蕎麦屋も現れるなど、大正時代には日本人は完全に洋食を自分たちの生活に取り込んでいたのです。

ソースをかければ何でも洋食?

食堂やレストランに食事を食べにいき、当然のように洋食も選択肢の中に入るようになった大正時代。

でも、そもそも洋食とはどういったものなのでしょうか。

実は、洋食とは海外の西洋料理の事ではありません。

西洋料理を日本風にアレンジした料理、これが洋食です。

大正時代では手に入らなかった食材や調味料を他のものにかえ、より日本人に受け入れられるようにした食事のことを洋食と呼ぶのです。

実は海外から渡ってきたそのままの姿ではない料理である洋食。

大正時代はソースをかければなんでも洋食といわれたような時代です。

当時、庶民が食堂やレストランで食事にカレーやオムレツなどの洋食を選べるようになりました。

しかし、レストランでそれらの洋食の食事を楽しめるようになったのは西洋料理を日本人の舌に合うようにアレンジしたためであり、それらの努力の上に大正時代の洋食ブームは成り立っていたのです。

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