ややこしい大正時代の中学校

未来を創っていくために欠かせない子供に対する教育ですが、その教育の形は時代とともに変化し、現在の教育の形になっていきました。

その教育の変化で、中学校の生徒数が一気に増えた時代があります。

それが、大正時代です。

大正時代には、教育に関する関心が高まり、中学校だけではなく教育機関に通う生徒数が一気に増えているのです。

しかし、大正時代の中学校は現在とは少し違うため、少々ややこしいと感じることも。

では、大正時代の中学校とは、いったいどんなものだったのでしょうか。

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生徒数はどれだけ増えた?

大正時代には、当時の中学校に通っている生徒数が一気に増えただけではなく、高等教育機関も拡充するなど、教育に関する関心が高まった時代だといわれます。

そのため、大正時代には生徒数の増加に合わせて教育の形が大きく変化していった時代でもありました。

しかし、中学校などに通う生徒数がいくら大きく増えたといっても、だれもが気軽に通えていたわけではありません。

大正時代に進学する人は増えたものの、かかる学費が高く、一般の人々にとってはまだ気軽に通えるようなところではなかったのです。

そのため、大正時代の中学校の生徒数が増えたといっても、だれもが教育を受けられる時代になるのはまだ先のことなのです。

では、それを踏まえたうえで進学する人の数はどれだけ増えたのでしょうか。

人数を1920年と1930年で比べてみると、1920年には約17万人だった人数が1930年には約34万人へと増えているのです。

まさに、急増しているといえる数字です。

中学校に通うのは男子のみ?

大正時代、中学校といえば旧制中学校のことを指します。

これは1947年に学校教育法が施行される前に男子に対して中等教育を行っていた学校の一つ。

ここで少しややこしい点が二つあります。

まず、高等学校や実業学校を含む教育機関は旧制中等学校といい、旧制中学校という、ここで中学校として取り上げているものとは違うということが一つ。

そして、中学校で教育を受けるのは男子のみという点がもう一つです。

女子が中等教育を受けるところは高等学校であり、中学校で中等教育を受けるのは男子だけだったのです。

何を学ぶ?

肝心の大正時代の中学校での勉強する内容ですが、それも現在の中学校での勉強内容とは違います。

大正時代の中学校では1~3年までは国語や外国語、漢文などを中心に、ほかにも歴史や数学などを学びます。

そして4・5年ではさらに物理や化学などが加わるのです。

現在の中学校でも学ぶもの、学ばないものがありますが、なかでも外国語では現在のように英語だけではなく、ほかの国の言語も学ぶ対象になるなど、同じように見えても違う点を見つけることができます。

こうして大正時代の中学校を見てると、現在の中学校との違いがたくさん見えてきます。

一見同じように見えても、女子は中学校では学ばないことや学ぶ内容も違っているなど、細かくややこしい点があるのです。

大正時代の教育を理解するには、中学校といっても現在のような中学校とは大きく違いがあることを理解しておく必要があるのです。

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