大正時代の広まっていく電車

大正時代には、人々は徒歩以外にも様々な移動手段をもち、目的に合わせてそれを変えるなど、自分たちの生活に合わせる形で乗り物を使っていました。

大正時代によく使われていた人力車や馬車、そして新顔の自動車など。

さらに、現代でもよく使われる乗り物で、明治時代に初めて登場した乗り物が大正時代には発展していきます。

その乗り物こそが電車です。

たくさんの人が一度に乗ることができ、遠くへ運ぶことができる電車。

一体大正時代にどのように日本に広がっていったのかを見てみましょう。

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電車といえば?

日本での電車の歴史は明治時代に始まりました。

しかし、さらに発展が加速したのは大正時代のころ。

当時、電車といえば街の中を走る路面電車か郊外を走る郊外電車がよく利用されていました。

中でも路面電車は人々にとってより身近なものとなり、それまで以上に利用されるようになっていきました。

そして線路が初めて開通した明治時代から大正時代にかけて、電車の発展が加速していくのです。

伸びる線路

明治時代から大正時代にかけて、電車はどのように発展していったのでしょうか。

大正時代にかけて、路面電車が徐々に人々のあいだで利用されるようになり、日本に広まっていきました。

そして、その流れの中で、それまで蒸気機関車を使っていた場所を電車でつなぐことができるのではないか、という考えが広まっていきます。

そのため、大正時代はそれまでより線路が伸び、さらに私鉄電車が次々に起こり、新しい線路も次々に開通していったのです。

そしてその線路の行き着く先は温泉地や観光地などにも伸び、それまでよりも多くの客を呼び込むようになりました。

このように、明治時代から大正時代にかけて、電車は登場、そしてそれまでよりも長い距離に線路を伸ばすことでより発展していったのです。

祝い事アピールに電車?

大正時代に発展していった電車ですが、ただ移動手段として利用されただけではありませんでした。

ほかの目的でも電車は利用されたのです。

例えば、花電車、という電車が大正時代にはありました。

この花電車というのは、造花や生花、そして電飾を使って飾り付された電車のこと。

ちなみに、飾り付される車両は人々が乗る車両ではなく、業務用の車両など、人の乗らない車両でした。

この電車は人が乗って移動するために作られた電車ではありません。

何かのイベントの時に使われた電車なのです。

大正時代では、慶事、祝祭の時などに運行されました。

この花電車が日本で初めて登場したのは、明治時代のころ。

1904年に運行された記録が残っています。

大正時代では、人々が乗って移動するために電車の線路が伸び、発展していきましたが、一方で電車は何かのイベントがあるときに走らせる花電車のように、ただの移動手段ではない目的でも発展していったのです。

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