明治時代から大正時代にかけては多くの事柄が変わっていき、人々の生活もどんどん変化していきました。
そんな大正時代の大きな変化の波は、墓地にもやってきていました。
私たちは墓地に関しては今と昔とあまり変わっていないと思いがちですが、実はそんなことはありません。
日本の墓地や葬儀に関する事柄は、現在では普通だとされている事が大正時代などではまだ普通ではなかったのです。
墓地をめぐる変化とは?
海外からの文化や品物が入ってくるなど、様々な変化がおきた大正時代。
埋葬に関しても現在では火葬が一般的とされていますが、少し前までは土葬が一般的でした。
そんな大きな変化をも起こしつつ、時代は大正に移ります。
大正時代、大きな都市や都には人口が集中していきました。
その人口増加の問題は大正時代の墓地に大きな変化をもたらしました。
それまで寺院墓地や公営墓地が多かったのですが、そこに公園墓地が大きな存在感を持って登場するのです。
墓地の種類あれこれ
大正時代に公園墓地が登場すると、すぐに庶民の中に受け入れられていき、その数を増やしていきました。
公園墓地とは、基本郊外にたっている墓地で、公園という字がついていることからも分かるように、例えば遊歩道などがあり、緑に囲まれた土地だという、公園としても使えるような墓地なのです。
また、大正時代まで一般的だった寺院墓地はお寺が管理している墓地で、お寺の境内の中に建てられているなどの特徴があります。
また、寺院墓地の宗派はそのお寺に従うことが多かったようです。
もう一つ、公営墓地は市町村や都道府県などの自治体が管理している墓地のことです。
大正時代にはそれまでの墓地の種類とは違った墓地が登場し、新たな変化を起こしていたのです。
一人よりも家族で?
大正時代になると、墓地には大きな変化がありました。
墓地に建てる墓自体も、一人一墓が普通であった昔と違い、大正時代には一人だけが入るお墓ではなく、家族みんなで入る家族墓という形の墓が普通になっていったのです。
現代の私たちには、墓地や葬式といったものはずっと昔から変化することがなく、日本の伝統が息づいているものだと考えがちです。
しかし、実際には日本の墓地はそれほど昔から変化せず、そのままの形を保ちつづけているわけではありません。
都市に人口が集中したことで公園墓地が誕生、その数を急激に増やしていくなど、大正時代の墓地には大きな変化が起きました。
その変化を見れば分かるように、墓地というものは考えているよりもずっと私たちの生活の身近に有り、私たちの生活に合わせて姿を変えていっています。
日本の墓地には考えられているよりも深く、長く続く伝統的な形式はありません。
しかし、日本人の生活の変化に合わせて柔軟に形やあり方を変えながら、生活に合わせて存在するものなのです。