人々の生活がそれまでとは大きく変わり、良くも悪くも海外の影響を強く受けて変化していった大正時代。
様々な事柄が海外の影響を受けましたが、日本の美術も大きな影響を受けた一つでした。
大正時代の美術界に海外はどんな影響を及ぼしたのでしょうか。
そして、それを受けて大正時代の美術家たち、そしてその作品はどういった変化をしたのでしょうか。
有名な大正時代の画家たち
大正時代には、現代に至るまでその名を知られるほどの多くの画家たちが誕生しました。
例えば、美術の教科書に必ずと言ってもいいほど載っている『麗子微笑』という作品。
これは岸田劉生が娘の麗子をモデルとして描いた連作のうち、最も有名な作品です。
更に、美人画で有名な竹下夢二も大正時代に活躍した人物の一人。
竹下夢二の描く美人画は一世を風靡し、大正時代の女性の服装に影響を与えるほど。
竹下夢二の描く美人画が当時の女性の服装を変えたように、大正時代には世の中に影響を与えるほどの力を持った作品が世に生まれでた時代だったのです。
模索する日本画
美術の世界が賑わい、大きく変化していった大正時代。
日本画、洋画の世界でも、それぞれ大きな、そして後の美術にも影響を与えるような変化が起きていました。
日本画では横山大観が中心となり、日本美術院を再興します。
そして盛んに院展を行いました。
このことは、近代の絵画として、日本画の新しい様式を切り開くことにつながっていきます。
大正時代の日本画家たちは院展を通して日本画の新しい様式を模索し、切り開いていったのです。
試行錯誤する洋画家たち
一方、大正時代の美術を語る上では洋画のことも外せません。
一般の人々の生活にさえ影響を及ぼした海外の文化や生活が洋画家たちに何の影響も与えないはずがなかったからです。
大正時代の美術のなかでも、洋画家たちは海外の影響を受け、大きく変化していきました。
大正時代には日本で洋画を描くだけではなく、パリにわたり、制作に励む日本人の画家も多かったのです。
当時の美術界では、多くの団体、例えば二科会などが登場、活躍したり、違う団体どうしが反発しあったりしていました。
しかし、画家の一人一人に目を向けてみると、大正時代の洋画家たちはほぼ全員が海外の影響を受け、新しい時代に向けた作品を生み出そうと研究を重ねていました。
パリなど、西洋の油彩画の様々な表現方法を研究し、それまでにない日本独自の洋画を生み出そうとしていたのです。
海外から強い影響を受けた大正時代の日本の美術。
そのなかで、日本画、洋画ともにそれまでの日本にはなかった個々の表現の可能性を探すため、研究、そして努力を重ねていました。
そのため、大正時代の美術界では、後の世に残るような有名な作品が生まれたり、それまでにない斬新な作品が登場したりと、大きな賑わいを見せていたのです。