大正時代、第一次世界大戦により日本に大戦景気がおこり、日本の景気は上向きになっていました。
その好景気の波に乗り、大正時代には裕福になる人が増えました。
では、大正時代にそうやって裕福になった人の間には一体どんな特徴があったのでしょうか。
そして、その人たちが大正時代に買い求めたものとはなんだったのでしょう。
時代の波に乗った人たち
大正時代の日本では、大戦景気と呼ばれる、戦争による好景気がやってきていました。
そしてこの大戦景気により、その波にのって短い期間に大金持ちになる人たちが大勢増えていったのです。
そうやって裕福になっていった人たちは成金と呼ばれました。
大正時代では造船業が活発になったため、その影響で裕福になった船成金、株成金、鉄成金とよばれる成金がいることからも分かるように、裕福になれた理由はそれぞれで違います。
その一方、高等教育機関に進学できる人は少ないなど、大正時代に時代の波に乗り裕福になっていく人々がいる一方で、裕福とはいえず、逆に貧しい暮らしを強いられている人も数多くいました。
大正時代に裕福になっていった人々がいる一方、物価高騰に苦しむ民衆もいるという二面性のある時代だったのです。
夢の別荘
大正時代に裕福になった人々や華族の中には、西洋風の家を好んだ人々も数多くいました。
その場合、普段住む家を西洋風にするだけではなく、西洋風の別荘や別邸を購入する人々も。
大正時代に裕福になった人々がそのように別荘や別邸を購入することは珍しいことではありませんでした。
成金が増えた大正時代では、別荘や別邸は贅沢品として販売されていたので、まさに裕福な人たち向けの売り物だったからです。
服もいち早く洋服に
大正時代の裕福な人々のあいだでは、別荘だけではなく、和服から洋服へ変わっていくスピードも早いものでした。
例えば明治後期から子供の服は上流階級の子女の間で晴れ着として着られていました。
通学服も動きやすい洋服の方が望ましいとされていたのですが、一般庶民の間では、洋服が浸透するのにはもう少しかかります。
一方、文化人など裕福な家庭ではいち早く子供に洋服を着せるようになりました。
『青踏』の創始者である平塚らいてうの父は高級官吏だったこともあり、らいてうが幼い頃からずっと洋服を着せられて育っていたことからも、子供に洋服を着せることが裕福な家庭ではより一般的になっていたことがわかります。
大正時代、大戦景気と呼ばれる好景気にわく日本では、裕福になれた人とそうでもない人の差が激しい時代でした。
そして、そんな時代に裕福に成長した人々には、別荘や別邸、洋服など、それをいち早く手に入れることが裕福な証とでもいうように、きそって購入するものがありました。
そして、洋服などがより日本中に広がっていくには、大正時代に裕福となった人々の消費行動が一役買っていたのです。