大正時代など、一昔前の日本では、ある程度大人になった時点で奉公人として商店などで働くことは珍しいことではありませんでした。
しかし、大正時代ではよく見ることができた奉公人ですが、現代の日本で見かけることはほぼなくなってしまいました。
そのため、現代の日本で奉公人の実態について詳しく知っている人はそれほど多くはありません。
では、現代ではめったに見られなくなった奉公人とは、一体どんな生活や仕事をしていたのでしょうか。
目次
奉公人は思ったよりも幼い子供がやっていた?
大正時代では珍しくなかった奉公人ですが、一体どんな人物が奉公人として働いていたのでしょう。
実は、奉公人として商店などに奉公しはじめる年齢はだいたい決まっており、それほど大きな違いはありませんでした。
現代の日本では本格的に働くといえば早くても10代後半が多いのですが、大正時代に奉公する場合は違います。
奉公人として働き始める年齢は12~14歳頃のことが多く、まだ幼いといってもいいくらいの年齢で働きに出ていたのです。
その年齢で働きに出ることが多いのは、小学校の尋常科を出る年齢が12歳、高等科を出る年齢でも14歳だったため。
つまり、大正時代では小学校の尋常科、または高等科を卒業した後に奉公人として働く人が多かったのです。
小学校の尋常科、または高等科を卒業した程度の教養や知識を身に付けた段階の子供が奉公に出ていたのです。
休日はこれだけ?
そうやって小学校を出て奉公人として働き出したとして、そこにはもう一つ、現代の私たちが驚くようなことがあります。
それが、休日の少なさ。
大正時代の奉公人は休日が少なく、ほぼないといってもよいほどなのです。
一年のうち、正月や盆などには短いながらも休日が出されたため、住み込みで働いている奉公人は家族に顔を見せに実家に戻ったりしました。
しかし、そういったイベント以外の休みは少なく、月に1回~2回しか休めないことも珍しくはなかったのです。
奉公人の仕事と立場
大正時代に奉公するということは、決して珍しいことではありませんでしたが、きつく厳しい仕事でした。
奉公に入る際に親が前払いで賃金を受け取る場合も多く、労働条件は厳しく、立場も辛いものであることが少なくなかったのです。
丁稚の丁稚奉公では、仕事は主人である人物のお供や掃除、そして奉公先の子供の子守などの雑用をこなすなど、その仕事は多岐に渡ります。
そうして地道に、そして真面目に奉公することで、大きな商店の場合は10数年で暖簾分けをし、独立できる場合もありました。
大正時代の奉公人の仕事や生活は、現代の日本人が考えるよりも幼い頃から奉公人として働いていたり、休日が少なかったりと、意外な事柄だらけ。
現代では詳しく知る人も少なくなった奉公人ですが、大正時代ではまだそんな生活や仕事をこなして日々を生きる奉公人がたくさんいたのです。