大正時代に始まったラジオ放送の苦労とは

大正時代、日本で初めて ラジオ放送が始まりました。

東京から発信されたラジオ放送ですが、すんなり放送までたどり着いたわけではありません。

実は、全国初のラジオ放送を開始するまで、裏では様々な苦労があったのです。

では、そんなラジオ放送を行うまでの苦労には、どんなものがあったのでしょうか。

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ラジオ放送の開始

大正時代、初めてラジオ放送が発信されたのは東京芝浦の仮放送所からでした。

1925年、京田武男さんの声がラジオから流れた時に、日本のラジオ放送の歴史はスタートしたのです。

開局の年は36万人の契約者が満州事変のあとには100万人を超え、放送網は全国区に広がるなど、一気に広まっていったラジオ放送。

一番初めにラジオ放送を開始したのは東京ですが、続けて大阪、名古屋でも放送が始まり、この3つの放送局は後に合同して日本放送協会、現代でもおなじみのNHKとして新たなスタートを切ることになります。

一見順調に見えるラジオ放送の歴史ですが、実は放送を開始するまでには様々な苦労や戦いがありました。

仕掛ける大阪、切り抜ける東京

大正時代、ラジオ放送が始まる前には盛んに放送の実験が行われ、未来のラジオ放送開始に向けての準備が着々と進んでいました。

放送施設をつくりたいと手を挙げる場所は沢山ありましたが、政府が出した条件により、候補地はぐっと絞られることになりました。

そして日本で初めて、1925年の3月1日に東京がラジオ放送を始める予定となりましたが、ここで予想もしなかった問題がおこります。

実は、買うはずだった送信機がライバル、大阪の放送局に買い取られてしまったのです。

送信機がなければ全国初のラジオ放送を行うことはできません。

そこで、東京はなんとかその場をしのぐ為に知恵を絞ります。

そして、違うところから放送用に使える無線電信電話兼用送信機をかり、改修をほどこし、使えるようにしたのです。

そこまでしていざ、後は検査に合格するだけ、というときに最後の問題が起こりました。

実はラジオ放送を始める時には検査に合格する必要があったのですが、準備万端のはずの東京はこの検査に不合格となってしまうのです。

世の中に向けてラジオ放送をすると宣伝していた東京。

直前になって無理でした、ではすみません。

そこで東京、裏技を使います。

仮放送、では許可が下りなかったため、試験放送という名目で許可を得て、無事放送したのです。

日本発のラジオ放送が流せたのは、そんな頑張りや策略があったからなのです。

当時の内容は?

そうして始まった大正時代のラジオ放送。

当時のラジオ放送の内容も戦国時代とは少し違っていました。

実は当時、ラジオで平日の昼に流されたのは株式市場や商品の相場といったものでした。

そしてのちにスポーツの実況放送など、様々な内容のラジオ番組が流れるようになり、好評を得るなど、ラジオ放送は徐々に軌道に乗り始めたのです。

ラジオを全国で初めて流したという名誉を競っていたり、いざ始まったラジオ放送の内容が現在とは大きく違うなど、ラジオ放送の歴史には沢山の面白い裏話が眠っているのです。

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