大正時代の意外に知られていない日本軍

何かのドラマや本などで日本の軍隊の事を指す日本軍という言葉を目にしたり、聞いたりしたことがある方は多いと思います。

しかし、あまり日常的には使わない言葉、そして身近なものではないために、日本軍とはどんなもので、何をしたのかと聞かれて答えられる方は多くはありません。

そんな日本軍について、大正時代の日本軍がした行動や、そもそも日本軍は一体どんな組織だったのかを見てみましょう。

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日本軍って?

そもそも日本軍とは一体どんな組織なのでしょうか。

単に日本軍というと幅広い意味を持ちますが、中でも大正時代の頃に日本にいた日本陸軍と日本海軍をあわせた組織のことを指すことが多い言葉です。

その組織は大日本帝国軍隊と呼ばれ、国軍、官軍とも呼ばれていましたが、戦後には旧軍、旧日本軍と呼ばれました。

その組織の頂点にいるのは天皇であり、最高指揮官という位置づけ。

そしてその最高指揮官たる天皇に意見したりする陸軍大臣と海軍大臣がつき、さらに陸軍からは参謀総長、海軍からは軍令部総長が作戦計画、動員計画などを掌っていました。

シベリア出兵って?

大正時代に日本軍が起こした行動では、シベリア出兵、そして青島の戦いがよく知られています。

そのひとつ、シベリア出兵とは、その名前のとおり日本軍がシベリアに兵を派遣した出来事です。

これは革命軍に囚われたチェコ軍の捕虜を救出するという名目で行われ、日本軍だけではなく、他の連合軍も兵を出しました。

しかし、連合軍が兵を出した目的を達成したとして撤退したあとも日本軍だけは兵を出した目的を変更するなどして日本軍の兵をとどめ続けました。

そのあと、海外の国から批判が集まり、撤退しましたが、多くの兵を失い、また大金を費やし、失ったという結果に終わっています。

青島の戦いとは?

シベリア出兵と同じく大正時代に日本軍が関わった出来事である青島の戦い。

この戦いは日本軍が初めて戦争に航空機を使った戦いとして知られています。

この青島の戦いは、1914年にドイツ帝国の東アジア拠点であった青島を日本、イギリスの連合軍が攻略した戦いです。

同じ大正時代に日本軍が関わったシベリア出兵に比べ、この青島の戦いはより合理的な戦い方で、日本軍の兵の損害も少ない戦いだとして比較されています。

この青島の戦いは他にも日本軍として初めて戦いに航空機を使うなど、その後戦争で使われることになる数々の道具を初めて実践で使った戦いとなりました。

日本軍にとっては国際的な批判を浴びたシベリア出兵、そして合理的な戦い方を実践、また航空機などを実践で使用するなどの戦い方をした青島の戦いなど、対照的な出来事、そして戦いを経験した時代、それが大正時代なのです。

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