大正時代は大正ロマン、そして大正デモクラシーなど、日本のなかの文化や国内の動きなどに注目が集まりがちです。
しかし、大正時代には海外の動きも活発であり、海外と関係する多くの出来事が起こった時代でもありました。
そして、そんな海外の動きは日本と無関係ではありません。
海外の動きが日本に影響を与え、日本のそれ以降の時代を変えていったのです。
大正時代に海外が日本に与えた影響や変化を輸出や輸入から見てみましょう。
大戦の波に乗る日本
大正時代、日本国内では多くの変化がおき、モダンガールやモダンボーイが街中を歩くなど、賑やかで活気づいた時代でした。
大きな変化を迎えたのは日本国内だけではありません。
海外でも、大正時代の頃には大きな変化が起きていたのです。
そして、そのなかでも海外が日本に一際大きな影響を与えたものが第一次世界大戦でした。
第一次世界大戦がおき、世界の国が戦っていたころ、戦火の外にいた日本は思わぬ影響を受けていました。
それらの戦いは日本に大戦景気をもたらしたのです。
第一次世界大戦の影響を受け、アジアの市場には綿織物、そしてアメリカ市場には生糸の輸出が大きく増えました。
そしてその勢いによって、日本の輸入は輸出量を上回ったのです。
大正時代の日本の輸入が輸出を上回ったのは、第一次世界大戦の影響を受けたためだったのです。
そして、第一次世界大戦によって薬品、染料などの分野ではドイツからの輸入が途切れたため、日本国内で化学工業が発達しました。
独自の研究が始まり、理化学研究所も設立するなど、大正時代の日本は海外から輸入がとまった影響をうけ、大きく未来を変えていったのです。
苦境の始まり
大正時代、輸入が輸出を上回り、大きな利益を上げた日本ですが、やがてその勢いは途切れ、苦境に立たされることになります。
第一次世界大戦の影響を受け、景気が良くなった日本でしたが、第一次世界大戦が終わり、ヨーロッパ諸国の復興が進んでいくと、ヨーロッパ諸国の商品がアジア市場に再び登場してくるのです。
それまでうまくいっていた日本にとって、それは苦境の始まりでした。
大正時代には造船や化学、製糸業など、重工業が発達していった日本でしたが、1919年からは輸入が再び輸出量を上回っていくのです。
大正時代の意外な輸入品
大正時代、様々な商品が日本に輸入され、大きな影響を与えました。
そんなふうに大正時代に輸入されたものに、エスカレーターがあります。
実はエスカレーター、1914年に一般向けに初めて設置された店は東京日本橋の三越呉服店でした。
残念ながら、当時のエスカレーターは1923年の関東大震災によって焼けてしまうのですが、この大正時代からエスカレーターは輸入され、徐々に日本で使われるようになっていくのです。
大正時代には輸出が輸入を上回ったり、またさらにそれが逆転したりすることによって、様々な変化がおきた時代でした。
更に、その変化の原因に海外の国同士の戦争があったりと、世界の国から受ける日本への影響もますます大きくなっていった時代だったのです。