動き始める大正時代の民主主義

大正時代、日本の政治は大きな力に動かされ、変化していきました。

その大きな力を出し、政治を変えていったのは一般庶民たち。

大正時代は一般の人たちが力を合わせ、政治を大きく変えていった時代だったのです。

民主主義というものが少しずつ表に出だしたのもこの頃。

では、当時の政治はどんなもので、一般的な庶民たちはどんなふうに政治を変えていったのでしょうか。

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押さえておきたい重要ワード

大正時代の政治を見ていく中で、重要な、そしてよく出てくることになるキーワードがあります。

それが民本主義と民主主義。

一見似ているようですが、その内容には違いがあります。

その違いを押さえておくことが重要なのです。

民本主義とは1916年に政治学者の吉野作蔵が提唱した主義のこと。

内容は普通選挙を行い、その結果に基づいて政治をしよう、という考え方が特徴です。

そんな民本主義ですが、民主主義と違う点は、あくまでも天皇主義だということ。

これが民主主義との大きな違いです。

民主主義は国民主権が大原則。

何よりも国民が自分たちで自分たちの未来を決める、という考え方が強い一方、民本主義は国民よりも天皇を優先するのです。

また、大正デモクラシーという言葉も押さえておきたい重要ワード。

大正デモクラシーとは普通選挙や護憲運動など、自由主義的な運動、思潮の総称であり、民本主義の訳語がデモクラシーなのです。

当時の政治の流れとは

大正時代、民主主義の思想が国民の間には広がりつつありました。

そんな民主主義を求める声が高まっていたのは日本だけではありません。

大正時代の頃、海外の参戦国では国民を戦争に全面的に動員するという総力戦が進められたことにより、国民の間で民主主義を求める声が高まっていました。

そして、米騒動やロシア革命などをきっかけに、民主主義を求める海外の勢いが日本に伝わってくるのです。

そして民主主義を求める国民の声を力にし、明治時代以降続いていた、議会を通さずに組閣を行っていた超然内閣から政党政治の基礎が生まれるのです。

そして、それこそ現在の政治の仕組みであり、それが誕生した裏には大正デモクラシーがあるのです。

見せつける民衆のちから

民主主義を求める民衆の声が高まった大正時代には、民衆の力が政治を動かすこともありました。

1913年、当時の内閣は政権独占だと民衆が非難したことからその出来事は始まります。

そんな風潮の中、反対勢力である立憲国民党、立憲政友会が中心になって起こした第一次護憲運動に民衆も参加します。

その結果、民衆が議会を包囲し、内閣は総辞職に追い込まれたのです。

この出来事を大正政変といいます。

この出来事のように、大正時代には民主主義を求める民衆の声が高まり、その力が当時の政権を覆すなど、民衆の力が政治を変えるほど大きな影響力を持つようになっていったのです。

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