一年に一度、その年に流行した言葉、流行語を決める流行語大賞というものをご存知の方は多いはず。
多くの言葉の中から流行語として選ばれるのはどんな言葉なのか、そして審査期間を経て流行語が決まれば、ニュースになるほどの盛り上がりを見せています。
そうやって決められた流行語となった言葉を見ると、その年がどんなものだったか、どんな出来事があったのかを一言で表している言葉ばかりが並びます。
つまり。流行語を知ることでその時代を知ることができるのです。
では、大正時代の流行語はどんなものだったのでしょうか。
そして、その言葉から読み取ることができる大正時代とはどんなものだったのでしょうか。
イメージアップに「もしもし」?
大正時代の流行語の中に「もしもし」という言葉をあげることができます。
「もしもし」といえば現在では電話での呼びかけに使う言葉。
しかし、それだけではなく、直接相手へ声をかける時に使う言葉でもあります。
実は大正時代では、警察官がその呼びかけを使うようになったのです。
それまでは「おいおい」「こらこら」という呼びかけを使っていたのですが、少し高圧的な印象を与えてしまうこれらの言葉たち。
そうして警察官から出される高圧的な印象を改めよう、ということでそれまでの「おいおい」「こらこら」などの乱暴な言葉を禁止して「もしもし」を使うようになったのです。
大正時代の流行語、「もしもし」からは警察官のイメージアップ作戦を読み取ることができるのです。
これが定番?
「銀ブラ」も大正時代の流行語の一つ。
この言葉は大正時代に流行ったとある行動を表しています。
その行動とは、東京の銀座通りにある商店街を冷やかしつつ歩いていくこと。
銀座をブラブラ、で「銀ブラ」です。
時には明治時代から流行っていたカフェーに入り、コーヒーを飲んだり。
そんな行動を表す言葉が「銀ブラ」。
モダンガールやモダンボーイが歩く町並み、そしてカフェーブームを想像できる言葉、それが「銀ブラ」なのです。
新しい女、闊歩中
「新しい女」はいわゆるモダンガール、自立した女性を指す言葉です。
そして、それも大正時代の流行語の一つ。
実はその「新しい女」という言葉が生まれたきっかけは平塚らいてうにありました。
1912年、とある連載を開始した読売新聞。
その連載のタイトルこそ「新しい女」であり、平塚らいてうが執筆したものでした。
大正時代に流行った「新しい女」とは、まさに女性が自立した存在になっていく大正時代にぴったりの言葉といえるのです。
ここで紹介した「もしもし」「銀ブラ」「新しい女」という流行語。
それらはすべて、大正時代の文化や行動、そして時代の移り変わりを表す言葉になっています。
たかが言葉、されど言葉。
その時代に流行った言葉は、そのころの世の中の影響を受けているため、その時代の特徴や出来事の影響を受けるのです。
大正時代の流行語など、その時代ごとの流行語からは、当時の文化や時代背景を読み取ることができるのです。