最近は精神病について多くのメディアが特集を組んだりすることも多くなってきたため、より多くの人々がそれがどんな病気なのかについての知識を持つようになってきました。
しかし、体の怪我などに比べて精神病はわかりにくいため、なかなか理解されづらいことに変わりはありません。
では、もっと昔、大正時代の人々は精神病の患者について、どのように対応をしていたのでしょうか。
私宅監置とは?
現在では、精神病の診察、治療を行う病院が多くなり、精神病についての知識を持つ人も多くなってきました。
しかし、少し前の大正時代までは精神病の人に対して、最近のような扱いや治療をすることは期待できませんでした。
精神病で手に負えないと診断された人に対しては、私宅監置などの対処法を取るケースも多く見られた時代だったのです。
私宅監置とは、当時よく行われた精神病などの人に対する対処法で、自宅の一室や物置小屋の一角に部屋をつくり、患者をそこで生活させることを指します。
そこに入れられた人を管理するのは行政という、今では見られない制度が大正時代にはあったのです。
また、当時私宅監置が多かった理由は精神科の病院、または精神科病棟が不足していたことも大きく影響していました。
方針が変わった大正時代
大正時代などでは、現在のように精神病の患者に対する治療法があまり確立されておらず、私宅監置を行っていたところも少なくありませんでした。
しかし、その流れを変わるきっかけとなる出来事が起こります。
大正8年に精神病院法が公布されたのです。
それまで精神病患者は危険な存在とされ、隔離する方針をとっていたのですが、これにより精神病を病気として認め、治療、保護する方針になったのです。
ちなみにこの大正時代、薬物療法はないため、精神病を扱う病院では作業療法での治療を行っていました。
作業療法では、園芸、裁縫、池作りなどが行われていました。
ただ、大正時代に出された精神病院法は道府県に公立精神科の病院の設置を命じていたものの、当時は財政難のため、なかなか病院の設置は進みませんでした。
しかし、大正時代に出された精神病院法により、それまで隔離されていた精神病の患者を保護、治療する方針にかわっていくという大きな変化があったのです。
こんな病院もあった
そんな大正時代には、サナトリウムという結核療養所も存在していました。
その名前のとおり、結核などにかかった患者を受け入れ、療養させるための場所です。
大正時代にあったサナトリウムで、有名なところがあります。
それが、南湖院という神奈川にあるサナトリウムでした。
このサナトリウムは当時、東洋一のサナトリウムと言われたほど有名な結核療養所だったのです。
大正時代は、精神病に対する方針が変わったり、結核にかかった患者などのための療養施設、サナトリウムが使われていたりと、病院に関することにさまざまな変化が見られた時代だったのです。