現代では毎年その年の流行色が発表され、ファッションに大きな影響を与えています。
発表されたその年の流行色は服装にはもちろん、雑貨などにも利用されるため、流行色を知らない、興味がない人であっても知らずに手に取り、買っているかもしれません。
では、現代ではなく、大正時代では誰がその年の流行色をきめ、そしてどういった色が流行色とされていたのでしょうか。
流行色、時代によってどう違う?
毎年変わる流行色であっても、時代によって選ばれる色の系統は変わってきます。
例えば、江戸時代には茶色、鼠色、そして緑を帯びた深い青色を指す納戸色など、少し地味な色が好まれていました。
ひとくちに茶色といっても、濃さが違うなど、様々な茶色をつくり、その違いを区別し楽しんで服装に取り入れていたのです。
そして明治時代に移ると地味な色が好まれた江戸時代とは大きな違いが現れます。
服装などにだんだんと明るい色が好まれ、選ばれるようになったのです。
大きな変化を迎えたそんな明治時代に続き、大正時代も明るい色が好まれる時代でした。
大正時代の流行色
明治時代に引き続き、明るい色が好まれた大正時代。
大正時代でも、現代と同じように毎年流行色が発表されていました。
例えば、大正6年は紫、または若草色が、大正7年ではピンクや鳩羽色が、大正8年には臙脂や緑などが流行色として発表されています。
戦争に勝った影響から、それまでより更に明るい色が好まれるようになっていったのです。
流行色、仕掛けたのは?
江戸時代から明治時代、そして大正時代など、時代ごとに違いが見られる流行色ですが、大正時代の流行色は一体誰が決めていたのでしょうか。
実は、大正時代にこの色が今年の流行色だとして意図的に流行らせた存在がいました。
それが、百貨店です。
百貨店は毎年、その頃の出来事や世相を考えに入れたうえでその年の流行色を考え、発表していたのです。
しかも、百貨店はただその年の流行色を発表しただけではありませんでした。
その年の流行色を発表するとともに、百貨店で扱う着物などの服、そして身につける雑貨などにも今年の流行色を使い、流行色と絡めてアピールしながら売りだしたのです。
利益を上げるために百貨店は流行色を利用したのです。
この百貨店の販売戦略により、毎年発表された流行色は一般の人々の心をつかみ、瞬く間にひろまっていきました。
また、流行色を使おうにもその色をした着物を買うにはお金がかかりすぎるため、半襟などに流行色を取り入れる人が多くみられました。
地味な色が基本だった江戸時代に比べ、華やかな色が好まれるようになった明治時代、そしてその流れを引き継ぎ、更に華やかな色が流行った大正時代。
そんな中でその年の流行色を発表し、世間に流行らせたその背後には百貨店のしたたかな販売戦略があったのです。