大正時代は、有名な文豪たちが沢山活躍した時代です。
その中には、谷崎潤一郎や芥川龍之介など、現代の私たちにも名前を知られているような、そしてその後の文学の世界にも影響を与えた人物も多くいます。
そんな文豪たちが活躍していた大正時代の文学の世界。
その時代の文学や、それほど文学が賑やかになっていた大正時代の特徴とは、一体何があるのでしょうか。
大衆と文学の出会いの場とは?
大正時代、数多くの文豪たちが活躍し、多くの有名な作品を後の世に残しています。
そんな大正時代の文学は雑誌によってたくさんの派閥に分かれていたりと、とても賑やかだったのが特徴の一つといえるでしょう。
では、大正時代に数多く発表された文学は、当時数多く創刊されていた雑誌の他にはどんな媒体で読者とつながっていたのでしょうか。
大正時代には、雑誌が数多く創刊、出版されたことはよく知られています。
しかし、読者と文学の出会いはそこだけではありませんでした。
大正時代、その数を大幅に増やした新聞も文学と読者の出会いを取り持つ大きな役割を果たした媒体だったのです。
大衆雑誌だけではなく、新聞に載っていた江戸川乱歩の探偵小説などの大衆小説も人々と文学の出会いを作り、新たな読者を獲得するなど、そんな流れが当時できていました。
大正時代に入って急激に増えた新聞が読者と文学を結びつける一つの大きなきっかけになったのは間違いありません。
ざっと抑える文学の流れ
多くの文豪たちが登場した大正時代。
その文豪たちは雑誌によってタイプを分けることができます。
そのタイプと文豪を時代の流れや背景とともにざっと押さえておきましょう。
森鴎外や夏目漱石を指導者として多くの作家が現れた大正時代。
雑誌によってタイプが違う小説家が集まり、その主義にあう小説が生み出された時代でもありました。
皇族や華族の子弟が学んだ学習院出身者中心で作られた『白樺』という雑誌は志賀直哉、武者小路実篤などが集まり、人道主義、理想主義を掲げていたのが特徴です。
一方、谷崎潤一郎や永井荷風は耽美派という特徴をもって活躍し、東大学生中心で作っていることが特徴の雑誌『新思潮』では新思潮派と呼ばれる漱石門下の芥川龍之介や菊池寛などが活躍していました。
大正時代に数多く現れた文豪たちは雑誌や作風でタイプごとに分けることができ、当時はとても多くのタイプが同時に活躍していた時代だったのです。
大正後期の二大潮流
そんな賑やかで活発な大正時代は後期に入ってもその勢いが衰えませんでした。
大正時代後期には、文学の二大潮流として大きな存在感を見せた二つのタイプの小説があります。
当時社会主義運動に労働運動の高揚に合わせ、労働者の生活に根ざした文学を『種蒔く人』や『戦旗』などの機関紙が掲載するようになりました。
小林多喜二の『蟹工船』などが有名です。
そんな風に世間の動きに合わせて盛り上がってきたプロレタリア文学派とともに、新感覚派の川端康成なども活躍します。
そして、それが大正時代後期の二大潮流となって聞くのです。
大正時代の文学の世界は数多くの文豪が現れたりなど、とても賑やか。
そして、その文豪には雑誌などにより、多くのタイプに分けられることが大正時代の文学の特徴の一つだったのです。