大正時代の少数派だった医者とは

現代日本では平均寿命も延び、医学もずいぶん進歩してきました。

そんな現代の医学界で欠かせない存在である医者ですが、少し前、例えば大正時代のころには医学も今ほど進歩していなかったうえ、医者に関しても現在では考えられないようなことが一部ではありました。

また、現在では一般的になったとあることに対する治療を専門に行う医者が現れたのもこのころ。

では、大正時代に現れた、その医者とは一体何だったのでしょうか。

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医師免許を取るには?

医者として医師免許がなければ治療できないということは大正時代でも同じこと。

しかし、大正時代の医師免許の取り方も現在とは少し違っています。

医者として活躍するには、大正5年までは明治初期から行われていた医術開業試験に合格しなければなりませんでした。

日本では漢方医学が重宝されてきましたが、大正5年まで行われたこの医術開業試験では西洋医学の知識が問われたことが特徴です。

晴れてこの試験に合格すれば医師免許をもらえるのですが、このころはもう一つ、医師免許を取る方法がありました。

医術開業試験を受けずに医師免許を取る方法、それが、医学教育機関で学び、卒業することでした。

そうすれば、試験を受けずに医師免許を取ることができたのです。

大きくなる歯医者の存在

そんな大正時代、現代と比べると存在感のない医者がいました。

それが歯医者です。

大正時代の少し前までは歯を専門に治療する医者はいなかったのです。

しかし、明治時代になると、特別な試験を受けて小幡英之助が合格したことにより、日本初の西洋医学に基づいて歯の治療を専門に行う歯科医師第一号が誕生したのです。

そして大正時代には国が歯の治療の大切さに気付き始め、1916年には歯科医師法が改正されました。

これによって、歯科を専攻し、内務大臣の許可がないと歯科医業を行うことが禁止されたのです。

女医亡国論?

大正時代、歯科医と同じく医者の中でも少数派だった存在が女性の医者でした。

このころは女性が医者になるためには多くの壁があったのです。

そもそも医術を学ぶことすら困難であったりしたのがこの大正時代でした。

女性が医者になれば日本は終わる、といった女医亡国論まで一部では飛び交うほど。

大正時代に女性が医者になろうとすることには、考えられないほど多くの障害があったのです。

しかし、女性に対する風当たりが強かった中で、明治時代には近代日本における女性初の医者、荻野吟子が誕生しました。

そしてまだまだ風当たりが強い大正時代の中でも、女性医師の道を切り開いて現代につないでいくのです。

大正時代の医者の中には、現代では珍しくない歯医者や女性の医者など、当時少数派であった医者たちが含まれています。

しかし、少数派ながらも当時の一人一人がそれまでなかった道を切り開き、現在のようにそれが当たり前となる世の中の基礎を築いていったのです。

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