明治から大正時代にかけての様々な視点から見るクリスマス

年始年末が迫る12月にある行事といえば、クリスマスだと誰もが答えるほど、クリスマスは日本にとって大きな行事になりました。

しかし、もとは海外から入ってきたクリスマスが仏教徒の多い日本でどのようにして受け入れられていったのでしょうか。

実は、その秘密は明治時代、そして大正時代という意外に最近にありました。

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クリスマスは百貨店とともに

クリスマスが日本の中で広く認識されるようになっていったのは明治時代のこと。

東京、銀座にある明治屋がクリスマスセールを始めたのです。

日本で初めてクリスマスセールを行ったのは明治屋でしたが、大正時代になってくると明治屋だけではなく、徐々に日本中に広まっていったのです。

クリスマスセールの歴史の始まりとなった明治屋ですが、実はそれだけではなく、クリスマスイルミネーションも行っており、それも日本中に広めていったきっかけともなっていたのです。

日本でクリスマスが広く浸透しているのには、都市部の百貨店が一役買っていたからだったのです。

日本はクリスマスで稼いでいた?

日本にとって、クリスマスは楽しいだけの行事ではありませんでした。

実は、日本全体にとってとても重要な役割を果たした行事でもあったのです。

クリスマスプレゼントを贈ることは大正時代になって日本に根付きました。

当時現在ではクリスマスプレゼントにはあまり選ぶことのないものも大正時代のクリスマスプレゼントの定番となっていたりしますが、サンタクロース人形など、クリスマスに7関連するものもその定番の中には多く含まれていました。

そんなプレゼントを作るための町工場は大忙し。

しかし、大正時代に町工場が忙しかったわけは、ただそれだけではありませんでした。

実は、町工場は日本国内だけではなく、海外に輸出するためのツリー飾りやサンタクロース人形を作っていたのです。

当時、日本は海外に輸出し、外貨を稼ぐためにクリスマス用の備品やおもちゃを作っており、世界一のクリスマス用品輸出国となっていったのです。

子供向けのクリスマスへ

明治時代に都市部でクリスマスセールが行われたり、1919年に帝国ホテルがクリスマスパーティーを開いたように、日本にはクリスマスという行事が徐々に根付いていきました。

そして、大正時代になると、クリスマスプレゼントの風習も根付いていったことからもわかるように、子供が喜ぶクリスマスというイメージも出来上がってきます。

大正時代に発刊されていた少年少女向けの雑誌も12月に入るとクリスマスの絵柄を取り入れるなど、クリスマスはより子供に親しまれるようになっていくのです。

クリスマスという行事が百貨店とともに成長していった面を持っていたり、一方ではクリスマス用品の輸出第一位の国となっていたり。

明治時代から大正時代にかけてのクリスマスには、面白い見方がたくさんあります。

そして、様々な点からクリスマスは日本の年末の行事の一つとして受け入れられ、親しまれていったのです。

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