発展していく大正時代の船

大正時代、日本は大戦景気といわれる好景気の中にいました。

そして、短期間でお金持ちになる成金と呼ばれる人たちが続々誕生したのも大戦景気にわく大正時代のこと。

そして、日本が好景気になるほどお金を稼げた理由、そして成金が大正時代にいきなり増えた理由には、船が大きく関係しています。

一体どういう形で船が関わっているのでしょうか。

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世界中で船ブーム?

大正時代、日本が大戦景気といわれる好景気になった理由は、貿易でお金を稼いだため。

なんの貿易でそこまで稼げたのかというと、それは船関係の貿易のおかげです。

実は大正時代の頃、海外の国々は空前の船ブーム。

正確に言うならば海運ブーム、そして戦争のために世界的な船舶不足に陥っていたため、船関係の貿易で大きく儲けることができ、日本の造船業がはやったのです。

また、造船業で大きく儲けを出したからこそ、大正時代には成金の中でも船関係でお金を稼ぎ、お金持ちになった船成金が多く誕生することになったのです。

その結果、日本の造船高は世界の第三位にまで上り詰めることができました。

また、造船量は当時の世界の9%を占めるまでになったのです。

大正時代、日本の造船業はそれほどまでに賑わっていたのです。

船ですら和洋折衷の時代?

江戸時代など、大正時代より少し前には弁才船と呼ばれる船が多く使われていました。

しかし、明治時代から大正時代になり、海外の船の技術や船の型などが広まってくることで、その弁才船と海外の船のいいところをあわせた合いの子船が登場してくることとなりました。

合いの子船は、国内海運で使われることが多かった船です。

大正時代では文化や物に和洋折衷が進んでいましたが、それと同じことが船の世界でも起こっていたのです。

日本の昔ながらの船でもなく、まるっきり海外からの船というわけでもない船である合いの子船。

その他の大正時代の文化や誕生していった物をみても、大正時代の日本人は頭から海外から入ってきた文化や考えなどを拒絶することはなく、もとからあった日本のものと合わせ、新しいものを作り上げていったことがわかります。

合いの子船という船は、そんな和洋折衷が普通だった大正時代、そして大正時代の人々の姿を浮かび上がらせていくのです。

数多くの日本初?

明治時代まではほとんど輸入に頼っていた軍艦などが大正時代にはほぼ国産に変わっていきました。

そのことから分かるように、造船業、そして船に関する技術が進んでいった大正時代には、それまでになかった「日本初」がたくさん誕生します。

日本初のギアータービンを使った大正2年の安洋丸。

日本初の内航での大型ディーゼル船である大正9年の音戸丸。

そして日本初のディーゼル機関を搭載した外航船であるもんてびでお丸。

大正時代の「日本初」は一部だけだとしてもこれほどあげることができます。

大正時代のこの造船業の賑わいがあったからこそ、現在の日本の造船業が形作られていったのです。

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