これからの時代に必要になりそうな外国語を一つ選ぶとしたら、現代では多くの人が英語を選ぶのではないでしょうか。
最近ではより幼い頃から英語に触れさせることが大切だとされ、子供から大人まで英語を学ぶことができる環境が整いつつあります。
しかし、大正時代では一番今大事な外国語は、と言われたら、ドイツ語という言葉が多く返ってくるかもしれません。
現在では、英語よりもドイツ語が大切だと考える人、そしてドイツ語がなぜ大正時代に人気の外国語だったのかわからない人が多いのではないでしょうか。
では、大正時代にはなぜ日本にとってドイツ語を学ぶことが大切だったのでしょうか。
ドイツ語とオランダ語の関係
大正時代の日本にとって、ドイツ語ができるということはとても重要なことでした。
一方で、江戸時代のころの日本ではオランダ語が重要な外国語とされていました。
日本にとって、江戸時代や大正時代などの時代の違いはあるものの、それぞれ重要とされていたオランダ語とドイツ語ですが、実はその二つの言葉の間には深い関わりがありました。
実はオランダ語は広い意味では言語学上、ドイツ語とされている言葉であり、オランダやベルギー北部で使われている言葉なのです。
しかし、広い意味でドイツ語といっても、それほど近い関係の言葉ではありません。
日本と関わりの深いオランダ語
大正時代に日本にとって重要な外国語であったドイツ語と関わりの深いオランダ語ですが、そのオランダ語も江戸時代には蘭語と呼ばれて日本が重要視していた言葉でした。
江戸時代、日本は鎖国中であり、その最中でも貿易をしていた数少ない国のひとつがオランダ語だったため、オランダ語が重要だったのです。
また、ただ貿易だけではなく、オランダから入ってくる学問を理解するためにもオランダ語は重要とされていたのです。
ドイツを目指す日本?
大正時代、日本がドイツ語を重要としていたのには、ひとつの大きな目的がありました。
当時の日本はドイツを手本にして様々な分野での体制を取り入れていたのです。
それは政治や経済、そして文化などにまで及びました。
もともと、日本で西洋の文化はオランダ語が必要とされた江戸時代の蘭学から導入されましたが、明治維新が起きたあとはドイツを見習う方針に変わっていきました。
そこで、ドイツの体制を取り入れるためにはどうしてもドイツ語が必要になっていったため、大正時代の日本ではドイツ語が重要な外国語となっていったのです。
そうして、当時日本から派遣された日本人留学生、そしてお雇いドイツ人教育者などからドイツ語やドイツのことを学んでいったのです。
大正時代の日本にとって、より上の日本を目指すために参考にしたドイツ。
そしてドイツの体制を取り入れるために、ドイツのことがより詳しく理解できるドイツ語ができる人はとても重宝されていたのです。