我が道を行く大正時代のモガのファッション

大正時代で最先端を行くファッションをしていた若者たちといえば、モガ・モボと言われるモダンガールやモダンボーイのことだとはよく知られています。

モガ・モボと言われる若者たちのそのファッションはそれまで和服中心だった日本の社会で大きな話題となりました。

そんなモガやモボのファッションとは、どんなものが多く、どこからやってきたスタイルだったのでしょうか。

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モガ、出没

大正時代、モガやモボと言われるモダンガールやモダンボーイが現れました。

当時の最先端のファッションをした若者たちです。

モボは山高帽子にロイドめがね、そしてセーラーパンツに細身のステッキなど。

モガはアッパッパと呼ばれる、歩くと裾が開くズボンに釣鐘型の帽子、そしてボブカットが定番のファッション。

大正時代から昭和3年頃にかけてはそんなファッションのモガ・モボ達が大都市によく現れたのです。

特に銀座通りなどでは、それら最先端の流行のファッションに身を包んだモダンガール・モダンボーイたちの姿がよく見られました。

銀座通りなどを歩くそれらのフッションに身を包んだ若者の姿は新聞や雑誌で取り上げられ、和服中心だった日本の社会に大きな影響を与えたのです。

大正時代にモガが出現するまで

大正時代にモガと呼ばれる若い女性たちが現れる前には、マントを羽織ったり、タバコを吸ったりする女性が現れるようになりました。

大正時代は自立した女性、職業婦人などが増えた時代です。

そんな社会の波に乗るようにして増えていった洋服姿の女性は、やがて断髪洋装となり、モダンガール、モガ、毛断嬢とも呼ばれる存在になっていったのです。

海外の影響でモガ誕生?

大正時代に銀座通りなどで歩く姿が見られたそんなモダンガール、モダンボーイのファッションですが、当時まだ和服が中心だった時代に何から影響を受けてそういった服装が流行ったのでしょうか。

実はそれは、アメリカの流行からの影響が大きく関わっているのです。

大正時代にモダンガール、モダンボーイが好んだそれらのファッションはアメリカのシネモードスタイルに影響を受けたものでした。

シネモードスタイルとは、映画の登場人物のファッションや背景に影響を受けたファッションのことを指しています。

映画に出てくる人物の華やかで明るいファッションが大正時代の若者たちに影響を与え、モガ・モボの間で流行していったのです。

大正時代に銀座通りなどの大都市で見かけるようになったモダンガール、モダンボーイたちのファッションは、当時の新聞や雑誌で取り上げられ、現代の私たちにとっては大正時代を代表する文化の一つとして受け止められています。

そんなモガ・モボたちは、時代が違えど、海外の流行を自分たちの服装に取り入れたり、映画の影響をうけたりする、現代の日本と同じような若者たちだったのです。

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