誰かに何かを伝えるための何らかの手段を表すメディア。
代表的なメディアは新聞やテレビ、ラジオなどでしょう。
誰かに何かを知らせる手段であるメディアは大正時代に大きく発展していきました。
そんな大正時代のメディアは一体どのように発展していったのでしょうか。
大正時代に発展したメディアのうち、新聞に焦点を当てて紹介します。
新聞強し!
大正時代、誰かに何かを伝えるためのメディアは大きく発展しました。
日本初のラジオ放送も始まったことも大正時代のメディアの発展がわかる出来事ですが、それだけではなく、新聞も大きく発展したメディアの一つでした。
大正時代は新聞の発行部数が大きく増えた時代であるとともに、それまで政論が多かった新聞の内容が、より人々に読んでもらうための内容にかわった時代でもあります。
そして、より多くの人に読まれる内容を目指したことで、多くの人々が新聞を求めるようになり、広告媒体としての価値も上がって行きました。
そに結果、新聞広告が多くなり、それまで以上に新聞が人々に何かの情報を届けるためのメディアとなっていったのです。
新聞が発展したのは大戦の影響?
大正時代にはラジオなどのメディアも発展していきましたが、新聞の発展も目を見張るものがありました。
では、なぜ大正時代に新聞が発展していったのでしょうか。
実は、新聞が発展していったのは第一次大戦の影響が大きいのです。
第一次大戦は日本に対して大戦景気という好景気を生み出すという影響を与えました。
この大戦景気こそ、日本の新聞が大正時代に発展していった要因なのです。
大正時代にはこの好景気により、消費生活も近代化されていくなど、庶民の生活が変わっていきました。
そうすると、それまで待合室や新聞社の前、勤務先などで見るだけで、自宅では新聞を見ていなかった人達は自宅で新聞を見たいと思うようになりました。
さらに、新聞が各個人の家への販売システムを確立していったのもこの頃。
新聞を戸別に配るシステムができたこと、そして人々が家でも新聞を見たいと願ったことこそ新聞が大正時代に大きく発展した理由なのです。
選べる時代へ
それまで人々が何か情報を手に入れようとすると、その手段は限られていました。
しかし、大正時代になり、ラジオ放送が開始され、新聞もより身近なものになるとその状況も変わっていきます。
新聞の内容はもちろん、例えば何かを買おうとした時、新聞広告の量が増えた大正時代の新聞で買いたい商品のことを知ったり、調べたりすることができたのです。
新聞が発展していったことで、手に入れたい情報をそれまでよりも多くのメディアから調べることができるようになったのです。
大正時代は人々が何かを手に入れたり、何か伝えたいことをより広範囲の人に知ってもらえる新聞をはじめとするメディアが増え、発展していった時代なのです。