大正時代、新潟ではとある変化が起きました。
そしてその変化は、その後の新潟を大きく変える出来事となったのです。
大正時代に新潟で起きたその変化は、当時新潟で育て始めたとある花がもたらしたものでした。
では、大正時代に新潟へ変化をもたらしたその花とは?
そして、その花は一体どんな変化をもたらしたというのでしょうか。
変化前、大正時代の新潟とは
大正時代に新潟を変えたその出来事が起こった場所は新潟にある小合村でした。
今の新潟市にある小合村では、その出来事が起こる前、明治時代の初め頃にはボタンや芍薬など、昔からよく親しまれていた花が花き農家によって少しだけ育てられていました。
また、各地にいた新潟の地主たちは銀行を作ったり、博物館の設立などを手がけたりなどもしていました。
育てる花の変化
そんな新潟で、今の新潟市にある小合村で大正中期に入ると、その後の新潟を変えるある出来事が起こります。
小合村にいた一人の花き農家、小田喜平太を中心にして、海外の花であるチューリップやアザレアを育て始めたのです。
これがその後の新潟を変える変化の始まりでした。
西洋の花であるアザレアやチューリップだけではなく、全国で流行を起こしたヤブコウジ、そして品種改良が行われたことでそれまでよりはるかに多く作れるようになったボタンなど、それまで小合村では育てていなかった花の商品生産にチャレンジしたのです。
さらに、その挑戦がうまくいき、身を結びはじめたとみるや、海外からオランダのチューリップの球根を輸入するなどしてチューリップの作付けを大きく広げていきました。
この挑戦により、新潟は日本一のチューリップの産地、そして日本を代表する花の産地へと変化をとげ、その後の新潟を変えていくことになるのです。
高価なチューリップが成功の秘訣!
このように大正時代に新潟が勢いに乗った変化の鍵を握っているのは、チューリップです。
では、なぜチューリップを育てることに成功したことでこれほど新潟も成功したのでしょう?
それは、当時のチューリップの育て方の難しさにありました。
大正時代、ほかの球根植物とともに日本にチューリップブームが訪れます。
しかし、当時の日本では大量のチューリップの商品生産には成功していなかったのです。
実はそれまで日本ではうまくチューリップは育たず、そのためオランダから輸入する球根は非常に高く取引されていたのです。
しかし、そんな日本の現状を見事チューリップの大量商品生産に成功することで新潟の小合村は吹き飛ばしました。
チューリップブームを逃がさず、見事そのブームに乗り、日本各地にその名を轟かせた大正時代の新潟。
たった一つの花の種類の球根が、その後の新潟の行く末を変えたのです。