横浜港といえば、神奈川県の横浜市にある港の事。
日本を代表する商業港であるとともに、京浜工業地帯などの工業地帯を拠点とする工業港でもあります。
そんな横浜港の歴史の中で、大正時代に起こった関東大震災は大きな出来事として残っています。
大正時代に起きた関東大震災は横浜港に一体どんな影響を与えたのでしょうか。
震災前の横浜港
神奈川県にある横浜港は明治から大正時代にかけて、勢いにのっていました。
埠頭などの施設の建設が次々に行われ、充実していったのがこの時代なのです。
有名な赤レンガ倉庫が作られていたのもこの明治時代から大正時代のことでした。
明治時代から大正時代にかけての横浜港は、その時以上の、なくてはならない存在の港になるために様々な施設を作るなど、まさに勢いに乗っている状態だったのです。
震災からたちあがれ!
しかし、様々な施設が出来上がりつつあった大正時代の横浜港に、大きな問題が起こります。
それが大正時代の1923年に起こった関東大震災です。
1923年、大正時代12年に起こった関東大震災は大正時代の多くの文化や物事に大きな影響を与えました。
例えば建築物も関東大震災で多くの被害を受けました。
その被害を受けた建築物の一つが明治時代から大正時代にかけて、より発展に磨きをかけてきた横浜港やその施設なのです。
新しい施設をどんどん建てていた横浜港は、関東大震災によって壊滅状態になってしまったのです。
しかし、この横浜港はそれで終わりというわけではありませんでした。
大正時代の大震災によって壊滅状態となった横浜港は国や市民らの手によって復興を進め、徐々に更に発展していくのです。
けれど、そのために復興を進めていく中で新しい問題が出てきます。
それがお金の問題。
関東大震災から復興を進めるにはお金が必要になってきます。
横浜港が大正時代の関東大震災から復興するためにたくさんのお金が必要となったため、のちのちその巨額のお金問題が横浜市について回ることになるのです。
しかし、そんな資金の問題があるものの、復興は進み、現在の横浜を代表する名所や建築物が建てられることになりました。
横浜港の名所
横浜港の名所といえば赤レンガ倉庫。
この赤レンガ倉庫は国の模範倉庫として建設されたという歴史があります。
しかし、今では文化や商業施設になっています。
また、1913年には日本初の荷物用エレベーターやスプリンクラー(消化栓)など、当時最先端で物珍しいものが揃っており、倉庫自体が最先端の存在でした。
明治時代から大正時代にかけて、横浜港は歴史の波に揉まれていきます。
より発展した港を目指すべく、さまざまな施設を作っていた横浜港。
しかし、大正時代に起こった関東大震災によって壊滅的な被害を受けました。
しかし、それでも負けることなく、国と市民が復興をすすめ、現代でも名を知られている名所などが出来上がるのです。