和洋折衷がキーワードだった大正時代の文化住宅

大正時代、人々が憧れた住宅がありました。

特に郊外に住んでいた人々のなかで、いつかそんな家を手に入れて住んでみたい、と憧れの的になっていたその住宅は、文化住宅、という名前で呼ばれていました。

では、その文化住宅とは、どういったところが、どんな人たちの憧れの的だったのでしょうか。

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こんな人たちに人気だった文化住宅

大正時代、都心で鉄筋コンクリートで造られたビルディングが建てられる一方で、文化住宅と呼ばれる家も人気が高まっていました。

特に郊外に住んでいた中流階層の人たちによって、文化住宅がもてはやされていたのです。

そもそも、文化住宅はそれまでの日本の住宅とは違い、海外の住まいの特徴も取り入れて造られた、和洋折衷の住宅です。

世間で文化主義や生活改善運動が起きていた時代に生まれたのでそう呼ばれるようになった文化住宅が、それまでとは違い、純日本風ではない海外の住宅の特徴を取り入れた住宅となることは自然な成り行きだったのです。

主婦の労働を減らせる?

文化住宅は主婦の労働を減らせる?

嘘のような話ですが、実は文化住宅には主婦の労働を減らせる特徴があります。

そもそも、文化住宅のなかで最大の特徴は和洋折衷であること。

具体的に上げると、玄関の脇に洋風の応接間があり、中廊下で少し独立した部屋があること、そして板張りの台所であり、雨戸に代わりガラス戸が使われていることなど。

あくまで一例ですが、そのような特徴を持つ和洋折衷の住宅となっているのです。

主婦の労働を減らすことができる大正時代の文化住宅の特徴は、例えば雨戸がなくなりガラス戸になったことなど。

それまでの雨戸がなくなったことで雨戸の開け閉めなどがなくなり、それまで主婦がしていた開け閉めなどの手間がなくなったのです。

一つ一つは細かなことですが、積み重なっていくと結構な労働になるそれらがなくなったことで、結果的に大正時代の主婦にとって労働を減らすことになったのです。

文化住宅に欠かせないものとは?

大正時代の文化住宅に欠かせないものはいくつかありますが、中でもガラス戸や、カーテンは大正時代の文化住宅には欠かすことができないものです。

これらは欧米文化への憧れが強い新中間層にとっては特に外せないものでした。

また、昔ながらの日本家屋よりも、部屋と廊下の区別がはっきり付くようになったことで家族それぞれのプライバシーが尊重されるようになっていきます。

大正時代の日本人にとって、和洋折衷の文化住宅は住むところという枠を超え、それまでの日本人の暮らしや意識を変えていくという大きな役割を持っていたのです。

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