一円均一だった大正時代のタクシー

乗客を車に乗せて行きたいところまで送って行ったり、迎えに来たりしてくれるタクシー。

現在ではおなじみの職業ですが、大正時代にはまだタクシーは登場したばかりでした。

日本でだんだん自動車の数が増えてきた大正時代には、それにあわせてタクシーの数もどんどん増えていったのです。

そんな風にタクシーが増えた大正時代には、いったいどんなタクシーがあったのでしょうか。

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タクシー誕生!

日本が明治時代に入ると、外国のものが次々と日本へ入ってきました。

それまでは馬車や人力車中心だった日本の道路ですが、路面電車や外国から輸入した自動車といった目新しい乗り物が走るようになっていきました。

そんな大正時代の始まりの年、1912年に日本初のタクシーが誕生します。

場所は数寄屋橋、つまり現在の東京、銀座にあたります。

そこでたった6台でタクシー自動車株式会社がスタートしたのです。

現在、タクシー自動車株式会社が始まった、つまり日本で初めてタクシーが誕生した8月5日はタクシーの日となっています。

「円タク」登場!

大正時代に誕生したタクシー。

最初はたった6台しかなかったタクシーでしたが、そのあと、昭和時代にかけてその数は一気に増えていくことになります。

タクシーが増えたそのきっかけとは、第一次世界大戦の影響で日本に訪れた好況でした。

その好況の波に乗って、タクシーは1921年には1205台へと一気にその数を増やしていったのです。

しかし、タクシーの数が増えるにつれて、お客様から不満や苦情が多く寄せられるようになりました。

その理由は運賃の分かりにくさに関してでした。

当時、タクシーの運賃はばらばらだったので、お客様からは分かりにくい、という声があがっていたのです。

そこで、タクシー業界が生み出した秘策は運賃がそれぞればらばらだった当時の状況を大きく変えることになります。

その秘策である「円タク」と呼ばれ、大阪で生まれた新たなタクシーは、市内を一円均一で走るというものでした。

「円タク」と呼ばれるのは一円均一のタクシーだから。

大阪で登場したこのタクシーは大阪で一円均一をおこなって2年後、遂に東京でも一円均一を行うようになるのです。

こうして運賃がばらばらだという問題も円タクのおかげで解決したのです。

大正時代のタクシー

大正時代、日本にはまだ自動車が少なかったころ、タクシーは誕生し、円タクという工夫を凝らしながら人々の間に根を張り、身近な存在へと変わっていきました。

そして、それと同時に自動車も大正時代の人々の間で徐々に身近なものとして受け入れられるようになっていくのです。

海外の文化などの影響を受けて発展していった大正時代の日本ですが、そんな大正時代にあわせてタクシーも発展していくことになるのです。

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