大正時代にいた電話交換手と電話番号

遠くにいる人とも話せる電話は現代人にとって欠かせない道具になっています。

携帯電話が誕生し、電話を持ち歩くようになったことからもそれはうかがい知れること。

電話番号を押すだけで直接話したい相手と話せる現在の電話ですが、かつて、あいだに電話交換手という役割を持った人を挟まなければ話したい人と話すことはできませんでした。

では、大正時代などに活躍したその電話交換手という役割は一体どんなものだったのでしょうか。

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電話登場、あんな電話も?

電話が日本に登場したのは明治時代の頃でした。

海外から輸入されたのが日本における電話の歴史の始まりだったのです。

さらに時代は進んで、1878年、国産の電話機が初めて作られました。

そこから徐々にネットワーク化が進み、日本中に電話が普及していったのです。

また、「自働電話」という電話が登場したのもこの頃。

「自働電話」というと聞きなれない電話のようですが、これは要するに公衆電話のこと。

実は公衆電話という名前は登場した時からついていた名前ではなく、最初登場した時には自働電話という名前だったのです。

そしてその自働電話が公衆電話、という名前になっていったのが大正14年頃のこと。

現在馴染みのある公衆電話という呼び方は大正時代に改めて付けられたものだったのです。

人がつなぐ電話?

まだ電話が日本に登場してまもない頃、明治時代や大正時代には現在のように電話番号を押すと直接話したい人と話せたわけではありませんでした。

当時はあいだに電話交換手と呼ばれる役割の第三者を通さなくてはいけなかったのです。

その仕組みはこうです。

まず、電話をかけますが、この時電話口に出るのは話したい相手ではありません。

電話局にいる電話交換手を呼び出すのが一番初めの段階なのです。

そしてその電話交換手に話したい人の電話番号を告げ、回線を接続してもらうことで初めて話したい人と会話できるという仕組みだったのです。

さらに、電話番号がわからない場合、電話番号を調べてくれる電話番号案内というものがありましたが、この電話番号案内の案内人も電話交換手が多く担っていたと言われます。

大正時代のころの電話では、人と人とをつなぐ電話交換手という仕事をこなす人が必要だったのです。

職業婦人、活躍!

大正時代、電話に欠かせなかった電話交換手。

この電話交換手という仕事は、大正時代に手に職をつけようとする女性たちに人気の仕事でした。

大正時代の女性が当時どんな仕事についていたかなどは当時の雑誌などで特集が組まれたりなどしています。

そこからは、大正時代に職業婦人と呼ばれるようになった、働く女性たちにとってタイピストと並んで人気のあった職業がこの電話交換手だということがわかります。

明治時代に初めて日本に登場した電話では、話したい人と直接話すことはできませんでした。

そのため、二人の間をとりもつ役割として、当時電話交換手がかつて重宝されていたのです。

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