発達していく大正時代の道路

実は大正時代はそれまでの道路からより使いやすく快適な道路に変化していく最初の時期にあたります。

大正時代のころから日本の道路はより使いやすくなっていったのです。

では、そうなったきっかけとは、そしてどんな道路から、どんなふうにより快適な道路になったのでしょうか。

スポンサーリンク
taisho-jidaiレクタングル大

東京は泥やホコリがひどかった?

大正時代以前、日本の道路は悪路といっても差し支えないものでした。

東京市内では、ほぼ砂利道だったため、泥やホコリが目立つ道だったのです。

特に雨が降った日には、ぬかるみがひどい道となっていました。

一方で、当時は新しい乗り物が道路を走る光景が見られるようになっていました。

それまでは徒歩や人力車、馬車などでしたが、明治時代から大正時代にかけて、自動車が日本の道路を走る光景が見られるようになっていったのです。

しかし、日本の道路は自動車にとっては快適とは言えないものでした。

そのため、自動車が登場した明治時代から大正時代にかけ、道路の改善計画が立てられるようになっていったのです。

道路改善計画

大正時代である1919年、日本で道路法が初めて制定されました。

それまでの道路をいくつかの種類に分類し直すなど、道路改善計画の第一歩が始まったのです。

そして、1920年になると第一次道路改良計画がたてられます。

しかし、このタイミングで日本を関東大震災が襲います。

日本に大きな被害をもたらした関東大震災のあとでは、都市の復興が何よりも優先されました。

都市はともかく、とても地方の道路を整備するために回すお金はありません。

そのため、地方の道路整備は遅れてしまう結果となりました。

アスファルトでの舗装へ

明治時代から大正時代にかけて、自動車が徐々に日本に入っていきました。

しかし、当時の日本の道路はとても自動車向きとは言えないもの。

道路改善計画では、それまでの道路よりも耐久性を上げることが不可欠となったのです。

そのため、明治時代後期から道路の舗装はシートアスファルト舗装というものが登場していきました。

こうして初めて日本では大正時代に本格的なアスファルト舗装の道路が作られるようになっていくのです。

しかし、なにせすべてが初めての経験。

アスファルト舗装の道路を作る経験や知識は大正時代の日本にはありませんでした。

そこで、よりアスファルトについて詳しく知っていて、経験もある外国人の技術者を海外から招き、その指導のもと新しい道路を作っていくことになりました。

こうして、日本はアスファルト舗装の技術を会得していったのです。

大正時代は、それまでの道路から、より快適に使える道路へと向かい始めた時代です。

それまで徒歩や人力車、馬車などが使っていた道路を自動車が走るようになったことも道路が新しいものになったことに大きく影響しています。

日本の道路はそれを使う乗り物によっても変化、そしてより発展していくのです。

スポンサーリンク
taisho-jidaiレクタングル大

taisho-jidaiレクタングル大

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする