「名は体を表す」という言葉があるように、人の苗字や名前にはその人の家系や血族が示され、名付け親の思いが込められています。
この言葉は、仏教用語の「名体不二(みょうたいふに)」が由来とされ、名と仏体は不離であり一つだという意味です。
苗字は、江戸時代まで武家や公家にしか認められていなかったため、明治時代や大正時代には苗字で出自が想像できました。
ここでは、公家社会が解体され華族制度へと移行した、大正時代の苗字と貴族の関わりなどをご紹介します。
苗字を有した貴族とは?武家とは?
鎌倉時代以降、朝廷に仕えていた貴族や上級官人は「公家」と呼ばれ、武力で天皇に奉仕する幕府が「武家」と呼ばれています。
儀式と文治に携わり天皇に奉仕した「公家」には、藤原氏や源氏、平氏などの貴族が代表的な家系で、それらの苗字は明治維新まで受け継がれています。
江戸幕府から明治維新を迎えると、江戸が東京となり都として定められ、公家社会は解体され、公家の大半は「華族」へと移行しています。
そんな「華族制度」も、昭和22年5月の日本国憲法の施行によって消滅しますが、それまで使用された苗字は継承され、貴族に由来する家系の名残となっています。
貴族に由来する苗字は?
昭和22年に消滅した華族ですが、大正時代以前に貴族かどうかの家系の由来を苗字から推測でき、具体的には次のような苗字があります。
「公家」の貴族だった藤原氏の家系には、藤原鎌足、北家公季、北家師実、北家頼宗、北家長家、北家内麿、北家高藤、北家末茂、北家道隆、北家長良をそれぞれ出自とした門流があります。
藤原鎌足を出自とした門流には、一条、二条、九条、近衛、鷹司といった苗字が受け継がれています。
北家公季の門流には、三条、西園寺、中園、今出川、北大路、大宮、姉小路、山本、徳大寺、押小路、橋本、正親町、武者小路、河鰭、清水谷、滋野井、阿野、風早、高松といった苗字があります。
北家師実の門流では、花山院、大炊御門、北家頼宗の門流では、中御門、坊門、持明院、高野、壬生、六角といった苗字が使われています。
北家長家の門流では、御子左、入江、冷泉、北家内麿の門流では、日野、勘解由小路、烏丸、三室戸といった苗字です。
北家高藤の門流には、勧修寺、甘露寺、葉室、穂波、坊城、中御門家、万里小路、清閑寺、梅小路といった苗字です。
北家末茂の門流では、四条、八条、鷲の尾、櫛笥、八条、園池、西大路、油小路、山科といった苗字です。
北家道隆の門流には、水瀬、桜井、七条、北家長良の門流には、高倉、堀川の苗字があります。
貴族の流れを受け継ぐ大正時代の苗字
鎌倉時代から天皇に奉仕した「公家」の中でも、藤原氏や源氏、平氏といった貴族の門流となる家系は、苗字からその由来が垣間見えます。
第二次世界大戦で敗戦を受け、日本国憲法が施行されて以降、それまでの「華族制度」は消滅しますが、大正時代以降に引き継がれた苗字には、貴族かどうかの出自を連想させます。
そんな人やモノにつけられる名前には、名付ける人の願いが込められたり、相手を褒める意味でも使われたり、本来の姿の在り方も左右します。
